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ディーキン Deakin, Alfred

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ディーキン
Deakin, Alfred

[生]1856.8.3. メルボルン
[没]1919.10.7. メルボルン
オーストラリアの政治家。法律家として出発,1880年ビクトリア植民地議会議員に選出され,83年から要職を歴任。 1900年ロンドンにおもむき,イギリス本国政府とオーストラリア連邦憲法草案について協議。帰国後ビクトリア各地でオーストラリア各植民地の連邦化促進を訴えた。連邦政府首相を3度 (1903~04,05~08,09~10) つとめ,社会立法の拡充と保護関税の実施に尽力。 08年には年金法と一般関税法を議会に通過させたが,連邦高等法院から一般関税法の無効の判決が下った。そのため労働党の協力が得られず,自由貿易を信奉する保守勢力に合流したが,10年の選挙で労働党に敗北。 12年健康を害して政界から引退。

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百科事典マイペディアの解説

ディーキン

英国の労働運動指導者。運輸一般労働組合書記長,TUC議長,世界労連会長を歴任。1949年米国のマーシャル・プランを支持して国際自由労連を創設,副会長となった。

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世界大百科事典 第2版の解説

ディーキン【Alfred Deakin】

1856‐1919
オーストラリアの政治家,自由党のリーダー。連邦首相を3期(1903‐04,05‐08,09‐10)つとめた。連邦形成の理念と実践の両面で指導者となり,第1回植民地会議(ロンドン。1887)からオーストラリア連邦評議会(1899)に至る一連の連邦発足準備会議に非閣僚として出席,さらに連邦形成のための論陣をはり,第1次大戦まで続く国の政策の基礎を築いた。自由党が議会で過半数の議席を獲得できなかったため,2度目までの政権は彼のリベラルさに共感する労働党との連立内閣であった。

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