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デクラーク de Klerk, F.W.

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

デクラーク
de Klerk, F.W.

[生]1936.3.18. ヨハネスブルク
南アフリカ共和国の政治家。大統領(在任 1989~94)。フルネーム Frederik Willem de Klerk。政治家の家系に生まれ,1958年にポチェフストルーム大学で法律の学位を取得。弁護士事務所を構え,市民権と商法の分野で頭角を現した。1972年に母校の国内法の教授に推薦されたが,同 1972年に国民党から立候補して当選したため,政治家の道を選ぶ。法律家としての経歴を買われ,鉱業大臣,厚生大臣,国民教育大臣,内務大臣などを歴任。1989年に病気の P.W.ボータ大統領に代わって国民党党首となり,大統領に就任した。就任とともに改革路線の促進と,民主化へ向けた四つの人種の代表との対話の推進を表明し,1991年アパルトヘイト諸法の廃止を実現した。同時に政治犯の釈放を進め,1990年にはアフリカ民族会議 ANCと共産党を合法化して,ネルソン・マンデラを釈放した。1992年に白人有権者の信任投票で勝利し,民主化をさらに推進した。1994年,初めて全人種が参加した選挙で ANCに敗れたが,のちにマンデラ政権に加わり,副大統領に就任。1996年に副大統領を辞任し,1997年に国民党党首を辞任して政界を引退。民主化の過程でときに敵対しつつ粘り強い交渉を重ねたマンデラとともに,1993年ノーベル平和賞を受賞した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

デクラーク
でくらーく
Frederik W. de Klerk
(1936― )

南アフリカ共和国の政治家で、白人体制最後の大統領。ヨハネスバーグ市生まれ。ポッチェフストローム大学を卒業。弁護士を経て、1972年国民党(NP)の国会議員だった父の後を継いで政界に入った。党内民主主義を唱えて和を重んじ、1978年には郵政相に就任。1982年に内相、NPの旧トランスバール州代表にも選ばれ、1984年から国民教育相兼白人閣僚評議会議長を務めた。1989年2月、脳卒中で倒れた大統領ボータの後任としてNP党首に指名され、同党の次期大統領候補に推挙、8月から大統領代行の後、9月の大統領選挙人団(人種別三院制議会の議員で構成)による選挙で正式に大統領に選出された。現実的な柔軟路線をとり、黒人指導者たちとも積極的に接触、アパルトヘイト(人種隔離)体制の解体に大きな役割を果たした。1994年5月、マンデラ政権の第二副大統領に就任したが、1996年6月末辞任。1997年9月NP党首を辞任、政界から引退した。1992年(平成4)6月に来日。1993年にノーベル平和賞を受賞した。[奥野保男]

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