日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボータ」の意味・わかりやすい解説
ボータ
ぼーた
Pieter Willem Botha
(1916―2006)
南アフリカ共和国の政治家。オレンジ自由国州(現・自由州)ポール・ルー地方に生まれる。オレンジ自由国州大学卒業。1948年下院議員となるとともに国民党(NP)ケープ支部書記長を務める(1948~1958)。社会開発・カラード問題相(1961~1966)、公共相(1964~1966)、国防相(1966~1978)を歴任。その間1966年NP党首。1978年首相に就任。人種別三院制議会発足と同時に1984~1989年大統領。国防相期にはタカ派的行動をとったが、首相就任後はコンステレーション(南部アフリカ国家連合)政策、人種別三院制議会導入などインド人、カラードとは融和を図った。しかし、アフリカ人に対する分離発展政策は継続した。三院制議会導入を契機に反アパルトヘイト運動は高揚し、ボータは非常事態宣言を敷いて弾圧したが、国際社会は非難し経済制裁を強化した。1989年脳卒中で倒れ、ユニスChris Heunis(1927―2006)が大統領代行、デクラークがNP党首となったが、ボータは回復後NPから見放された。
[林 晃史]
『Eschel Mostert RhoodiePW Botha ; the last betrayal(1989, S.A.Politics, Melville)』▽『James Michael RohertyState security in South Africa ; civil-military relations under P.W.Botha(1992, M.E.Sharpe, New York)』