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トゥール・ポアティエの戦 トゥールポアティエのたたかい

世界大百科事典 第2版の解説

トゥールポアティエのたたかい【トゥール・ポアティエの戦】

732年にフランク王国宮宰カール・マルテルが,フランス西部,トゥールToursとポアティエPoitiersの間において,イスラム教徒の軍を撃退した戦闘。729年スペインの地方総督アブド・アッラフマーン‘Abd al‐Raḥmān al‐Ghāfiqī(?‐732)に率いられたイスラム軍は,ロンスボー(ロンセスバリェス)の峠を通ってピレネー山脈を越え,ガスコーニュ地方を襲い,さらにボルドーを占領したうえ,ガロンヌ川右岸でアキテーヌ公ウードの軍を粉砕した。

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世界大百科事典内のトゥール・ポアティエの戦の言及

【ウマイヤ朝】より

…北アフリカ征服は,670年ウクバ・ブン・ナーフィーのカイラワーン建設により本格化し,711年ターリク・ブン・ジヤードが,712年ムーサーがイベリア半島に上陸し,その大部分を制圧した。のち,イスラム軍は732年トゥール・ポアティエの戦でフランク軍にその北進を阻止されたが,その後も734年にはローヌ渓谷に,743年にはリヨンに達した。他方,ビザンティン領の小アジア,東地中海島嶼へも定期的遠征が行われ,とくに677‐679,717,718年の3回,首都コンスタンティノープルの包囲攻撃が行われた。…

【カロリング朝】より

…アウストラシア宮宰ピピン1世とメッツ司教アルヌルフとの家系から生じ,しだいに全宮宰職を獲得した。特にカール・マルテルトゥール・ポアティエの戦での勝利(732)は,この家系の令名と実力とを高め,その子ピピン3世は王をしのぐ実権を握っていた。当時の西欧は,メロビング朝の衰退に伴い,ビザンティン帝国,イスラム教徒,スラブ族等にかこまれた崩壊寸前の小島のごとき状態にあり,これを統一させて救うために,教皇ザカリアスは,真に実力あるものが王権を握るべきであるとの意向を示し,聖ボニファティウスはフランク人をして,ピピン3世をフランク王に選ばせ,彼に塗油した(752年。…

※「トゥール・ポアティエの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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