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ポアティエ Poitier, Sidney

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ポアティエ
Poitier, Sidney

[生]1924.2.24. マイアミ
アメリカの映画俳優黒人俳優第一人者。『手錠のままの脱獄』 (1958) ではベルリン国際映画祭の,『野のユリ』 (63) ではアカデミー賞の主演男優賞を受賞。 1972年以後,監督業に進出

ポアティエ
Poitiers

フランス西部,ビエンヌ県の県都。ロアール川支流のビエンヌ川に注ぐクラン川にのぞむ台地上に位置する。アキテーヌ,パリの両盆地を連絡するポアトゥー低地帯の要地で,ツール=ポアティエの戦い (732) ,ポアティエの戦い (1356) など多くの戦いの舞台となった。現在は商業都市で,コムギ,ワイン,木材,ウシなどの取引が盛ん。機械,印刷,繊維などの工業もある。ノートルダム・ラ・グランド聖堂 (11~12世紀) をはじめ多数のロマネスク様式の聖堂や宮殿,サンピエール大聖堂 (12~16世紀) などのゴシック建築,ルネサンス期の建築物などが数多く残っている。 1431年創設の大学は,R.デカルトが学んだことで知られる。人口8万 2507 (1990) 。

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世界大百科事典 第2版の解説

ポアティエ【Poitiers】

フランス中西部,ビエンヌ県の県都。ポアトゥー・シャラント地方の中心地。人口8万3000(1990)。ビエンヌ川の支流クラン川に臨む。ガロ・ロマン時代から開けた地。732年カール・マルテルはこの近傍でイスラム教徒を阻止し,また百年戦争初期のポアティエの戦(1356)ではフランス軍がこの地で敗れた。1431年には大学が創設されている。従来,農牧業の中心地であったが,近年,機械・電機・印刷業などの工業化が進んでいる。

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世界大百科事典内のポアティエの言及

【トゥール・ポアティエの戦】より

…732年にフランク王国の宮宰カール・マルテルが,フランス西部,トゥールToursとポアティエPoitiersの間において,イスラム教徒の軍を撃退した戦闘。729年スペインの地方総督アブド・アッラフマーン‘Abd al‐Raḥmān al‐Ghāfiqī(?‐732)に率いられたイスラム軍は,ロンスボー(ロンセスバリェス)の峠を通ってピレネー山脈を越え,ガスコーニュ地方を襲い,さらにボルドーを占領したうえ,ガロンヌ川右岸でアキテーヌ公ウードの軍を粉砕した。…

【トゥール・ポアティエの戦】より

…732年にフランク王国の宮宰カール・マルテルが,フランス西部,トゥールToursとポアティエPoitiersの間において,イスラム教徒の軍を撃退した戦闘。729年スペインの地方総督アブド・アッラフマーン‘Abd al‐Raḥmān al‐Ghāfiqī(?‐732)に率いられたイスラム軍は,ロンスボー(ロンセスバリェス)の峠を通ってピレネー山脈を越え,ガスコーニュ地方を襲い,さらにボルドーを占領したうえ,ガロンヌ川右岸でアキテーヌ公ウードの軍を粉砕した。…

※「ポアティエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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