ドイツの劇作家,詩人。旧プロイセン領のザモーチンでユダヤ系の商家に生まれ,グルノーブル大学で法学を学んだおり,第1次大戦が勃発し従軍,戦争の悲惨さを体験し傷病兵として帰還したのを転機に,平和主義者となった。除隊後ハイデルベルク大学に学び,またK.アイスナーと知りあい,独立社会民主党員となる。1918年,ミュンヘンで軍需工場労働者のゼネストを指導して逮捕され,獄中で完成した,人間愛にもとづく非暴力革命をうたう戯曲《転身》(1919)がベルリンで初演され,表現主義作家としての名声が高まった。釈放後,バイエルン労農兵評議会のメンバーとなり革命政府をつくるが,倒壊後,再逮捕され,禁固5年の刑期をつとめる間に,《群衆人間》(1920),《機械破壊者》(1922)をはじめ,復員兵の悲劇《ヒンケマン》(1923)や国家主義風刺の喜劇《解放されたウォータン》(1923)などの戯曲と詩集《燕の書》(1924)を著す。自伝小説《ドイツの青春》(1933)にそれまでの経緯が活写されている。出獄後,映画手法の採用などで評判の高かった《どっこい,生きているHoppla,wir leben!》(1927)や,ルポルタージュの技法をもちいて表現主義から新即物主義への移行をうかがわせる《ボイラーの火を消せ》(1930)を発表。ナチス政権確立後は,スイスなどを経て,アメリカに亡命,《獄中からの手紙》(1935)や反ナチス運動を行う牧師を主人公にした戯曲《ハル牧師》(1939)を発表,スペイン人民戦線政府のために活動したりしたが,39年ニューヨークで自殺。
執筆者:小島 康男
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ドイツの劇作家、詩人。ポーランド、ザモチンのドイツ系ユダヤ商人の家に生まれる。第一次世界大戦に志願兵として従軍、重傷を負い退役。戦後、革命運動に携わり、ミュンヘンのレーテ革命では労農評議会議長、赤衛軍司令官を務める。革命挫折(ざせつ)後、大逆罪で5年間の禁錮刑を受ける。獄中執筆の表現主義的戯曲『転変』(1919)、『群集・人間』(1921)、『機械破壊者』(1922)、『ヒンケマン』(1923)は、いずれも革命と平和主義、集団と個の相克がテーマで、上演のたびにセンセーションを巻き起こした。33年アメリカに亡命、39年ニューヨークのホテルで自殺。ほかに詩集『燕(つばめ)の歌』(1924)、戯曲『どっこいおいらは生きている』(1927)、『ハル神父』(1939)などがある。ドイツでは近年全五巻の全集が出版され(1978)、再評価の機運が強い。
[山本 尤]
『田村俊夫訳『機械破壊者』『ヒンケマン』(1933・春陽堂)』
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