トリスタン・レルミット(英語表記)Tristan l'Hermite

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トリスタン・レルミット」の意味・わかりやすい解説

トリスタン・レルミット
Tristan l'Hermite

[生]1601? ラマルシュ
[没]1655.9.7. パリ
フランス詩人劇作家本名 François l'Hermite。アンリ・ド・ブルボン小姓をつとめたのち,オルレアン公やギーズ公に仕えた。コルネイユの『ル・シッド』にも比肩する成功を収めた悲劇マリアンヌ』 La Marianne (1636) や,『セネカの死』 La Mort de Sénèque (44) などの作者。詩には『恋愛詩集』 Les Amours (38) をはじめ,詩人の並みはずれた微妙な感覚をうかがわせる作品がある。 20世紀になってようやくその価値が認められ,H.ラカンとともにルイ 13世時代の最高の詩人とみなされるにいたった。ほかに,物語風自伝『不興をこうむった小姓』 Le Page disgracié (42) がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「トリスタン・レルミット」の意味・わかりやすい解説

トリスタン・レルミット
とりすたんれるみっと
François Tristan L'Hermite
(1601―1655)

フランスの詩人、劇作家。幼くしてパリに出て貴族の小姓になる。やがて決闘で人を殺し、外国に逃亡。帰国後も自由奔放な生活をしたらしい。ルイ13世の王弟に仕えたころから詩作に励み、恋愛詩などを書く。悲劇『マリアーヌ』Marianne(1636)が大成功を博し、名声を得た。ほかに『恋愛詩集』Les Amours(1638)などがある。憂いを含んだ当代一の叙情詩人で、再評価されつつある。

伊藤 洋]

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世界大百科事典(旧版)内のトリスタン・レルミットの言及

【フランス演劇】より

…折しも宰相・枢機卿リシュリューの文化政策への着手と相まって,演劇が,常設劇場,しかもパリの常設劇場で演じられる文学的にも質の高い戯曲の上演を中心とするように決定的に変わり,演劇の社会的ステータスが飛躍的に上昇する(コルネイユのバロック喜劇《芝居の幻想》がその間の事情をよく語っている)。ブルゴーニュ座のアルディ,ロトルー,マレー座のトリスタン・レルミットTristan L’Hermite(1601‐55),コルネイユといった座付作者の競争が劇場の盛衰をも決するという現象もこの時期に初めて起こる。もっとも,〈言葉の演劇〉と劇詩人の君臨は一挙に確立したわけではない。…

※「トリスタン・レルミット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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