日本大百科全書(ニッポニカ) 「トロヤ戦争」の意味・わかりやすい解説
トロヤ戦争
とろやせんそう
古代ギリシア人の伝承に語られているギリシアとトロヤとの戦争。この戦争に取材する英雄叙事詩で現在われわれに伝わるのは、ホメロスの作とされる『イリアス』および『オデュッセイア』の二編のみであるが、アルカイック期以前には多種多様の英雄叙事詩に歌われていたと思われる。『イリアス』はトロヤ戦争10年目のできごとに、『オデュッセイア』はトロヤ陥落後のオデュッセウスの漂流にそれぞれ主題を限定しており、いずれもトロヤ戦争の経過全体を取り上げているわけではない。
戦争の原因は、英雄アキレウスの両親となるペレウスと女神テティスの結婚の席に、不和(エリス)女神が招待されなかったことにある。不和女神は、腹いせに「もっとも美しい者へ」と記した黄金のリンゴを婚礼の席に投げ込み、ヘラ女神とアテナ女神、アフロディテ(ビーナス)女神が美を競うこととなり、その審判人に選ばれたのがトロヤの王子のパリス(アレクサンドロス)であった。パリスは、ギリシア第一の美女を与えることを約束したアフロディテに黄金のリンゴを与え、この女神の加護のもとにスパルタ王メネラオスの妃ヘレネをトロヤに誘拐することに成功した。妻を奪われたメネラオスは、兄のミケーネ王アガメムノンを動かしてギリシア諸国の王にトロヤ遠征の檄(げき)を飛ばさせ、やがて連合船隊はボイオティアのアウリスに集結し、トロヤに向かう。堅固な城壁で守られたトロヤは簡単には陥落せず、戦いは10年目に入った。このとき、総帥のアガメムノンと英雄アキレウスとの間に不和が生じ、ギリシア軍は苦戦に陥った。親友パトロクロスを戦死させたアキレウスは、復讐(ふくしゅう)の鬼となって戦場に赴き、敵将ヘクトルを討ち取ったが、のちに自分も戦死した。トロヤ側優勢となったとき、イタケ王オデュッセウスの案出した、巨大な木馬の中にギリシア兵を忍ばせて城内に引き入れるという「木馬の計」が功を奏し、ギリシア側の逆転勝ちとなった。
トロヤの敗将アイネイアスは、シチリアを経てイタリアに落ち延び、ローマ建国伝説につながった反面、アガメムノンはミケーネに帰国したその日に、夫を裏切った妃クリタイムネストラとその情夫アイギストスの手にかかって、あえない最期を遂げた。
古代にはこの戦争の史実性は疑われなかったが、19世紀の批判的史学研究の勃興(ぼっこう)期には虚構としてかたづける風潮が現れた。しかし、シュリーマンのトロヤ発掘の成功は、伝承に対する全面的不信を改め、伝承と史実の結び付きを考える機会を与えた。
1930年代にトロヤ遺跡の科学的再調査を行ったカール・ブレゲンは、遺跡の状況から、トロヤ戦争が史実性を有するならば、トロヤ第七層A市破壊の年代(紀元前1250ころ)が適合的であるとしている。
[馬場恵二]
『ホメーロス著、呉茂一訳『イーリアス』全3冊(岩波文庫)』▽『ホメーロス著、呉茂一訳『オデュッセイアー』全2冊(岩波文庫)』