シュリーマン(その他表記)Heinrich Schliemann

デジタル大辞泉 「シュリーマン」の意味・読み・例文・類語

シュリーマン(Heinrich Schliemann)

[1822~1890]ドイツ考古学者。ホメロスの詩を史実を歌ったと信じて、トロイア遺跡発見。また、ミケーネティリンスを発掘し、エーゲ文明存在を明らかにした。著、自叙伝古代への情熱」など。

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共同通信ニュース用語解説 「シュリーマン」の解説

シュリーマン

1822~90年。ドイツで生まれ、事業家として成功した後に考古学を学んだ。トロイ遺跡(トルコ)などの発掘を手がけて大量の金製品などを発見。紀元前8世紀以前のエーゲ海周辺に、当時は神話と考えられていた高度な文明が実在したことを明らかにし、「ギリシャ考古学の父」とも呼ばれている。語学にも堪能で、十数カ国語を話せたという。世界各地を旅し、幕末の日本を訪問したこともある。

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精選版 日本国語大辞典 「シュリーマン」の意味・読み・例文・類語

シュリーマン

  1. ( Heinrich Schliemann ハインリヒ━ ) ドイツの考古学者、実業家。少年時代に読んだホメロスの詩を史実と信じ、実業家として成功したのち、一八七〇年小アジアのヒッサルリクの丘を発掘してトロイの実在を証明。さらにミケーネ、イタカなどを発掘し、エーゲ文明研究の端緒を開いた。自叙伝「古代への情熱」がある。(一八二二‐九〇

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改訂新版 世界大百科事典 「シュリーマン」の意味・わかりやすい解説

シュリーマン
Heinrich Schliemann
生没年:1822-90

ドイツの考古学者。ミュケナイ文明ミノス文明の発見者。北ドイツの貧しい牧師の子に生まれたが,少年時代にホメロスの物語に魅了されてトロイアの都の実在を信じ,その発掘を決意する。しかしその前半生は独立のための富の追求のうちに過ぎる。中学を終えると小売店の小僧,徒弟,下級船員,商社の社員などの職を転々としながら,少年時の夢を堅持し,また十数ヵ国語を習得する。ようやくロシアにおいて巨富を得ると実業の第一線から退き,自力による初志の実現に没入する。第1回のトロイア発掘(1871-72)においては,通説に反してヒッサルリクの丘にこそトロイアは眠ると信じて,この丘に挑む。その結果は堂々たる堅固な城壁と複雑に重なる多くの遺構,さらに金細工をふくむみごとな多数の財宝が現れて,伝説の都は高度な文明をもって実在したことが証明された。しかし学界の反論に抗するために,さらに1878,82,90年と3度発掘を進めて成果をあげ,トロイアの都の実在についての確信をさらに固めた。この丘に幾重にもある住居層のなかで,彼は下から2番目の第2市をホメロスのトロイアとした。今日では第7市Aがそれにあたるとされるものの,第2市の遺物と遺構はこれまで未知だったミノス文明の精華だった。

 なお彼はホメロスの詩にでてくるミュケナイティリュンスオルコメノスを発掘して,城壁や宮殿,壁画,穹窿墓(きゆうりゆうぼ),財宝を発見したが,ミュケナイの円形墓地の成果は最も華々しい。この各地の発掘の結果明らかになった文明はミュケナイ文明と名づけられた。彼の目標は美術品の探索よりも住居址全体の姿とその生活,すなわちギリシア伝説時代の実証にあった。ギリシア先史時代研究の開幕者といえる。その発掘は粗雑で結論は性急だったと非難されるが,それぞれの発掘報告研究書は今日も価値を失ってはいない。ロマンティストの情熱と商人の現実主義と不屈の精神力とが,彼を単なる考古学者にとどめなかった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュリーマン」の意味・わかりやすい解説

シュリーマン
しゅりーまん
Heinrich Schliemann
(1822―1890)

古代のトロヤの遺跡の発見者として広く知られるドイツの考古学者。ドイツ北部、バルト海に面するメクレンブルク州で牧師の子として生まれる。幼時からホメロスの物語にあるトロヤの遺跡の実在を信じ、これの発見を生涯の目的とした。前半生はこのための資金づくりのためロシアに移住しインド藍(あい)の貿易商を営み巨利を得た。40歳代前半には事業をやめ、世界旅行をしている。このとき中国や日本にも立ち寄っている(1865)。ついでギリシア古代史の本格的な研究に入り、ギリシア、小アジアを訪れている(1868)。翌年、アテネ生まれでホメロスの詩編に精通するソフィア(1852―1932)と知り合い結婚する。

 1870年に小アジア北西部のヒッサリクHissarlikの丘に初めて鍬(くわ)を入れ、引き続き73年まで行った発掘調査で、この地が古代のトロヤの遺丘であることを立証して大きな衝撃を世界に与えた。この調査は引き続きドイツのデルプフェルトの協力を得て、彼の没年まで続行された。トロヤの発掘と併行して、ギリシア本土でもミケナイ、ティリンスなどの発掘を行い、彼の生涯の目的であったホメロスの世界の実在性を立証した。晩年はアテネに邸宅を構え、古代の世界にふける優雅な生活を送ったが、1890年12月26日、ナポリで急死した。各遺跡の報告のほかに、自叙伝である『古代への情熱』がある。

[寺島孝一]

『村田数之亮訳『古代への情熱』(岩波文庫)』

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百科事典マイペディア 「シュリーマン」の意味・わかりやすい解説

シュリーマン

ドイツの考古学者で,トロイア,ミュケナイなどの発見者。貧しい牧師の家に生まれ,大商人として財をなしたのち,ホメロスの叙事詩にあるトロイアの地を小アジアのヒッサルリクと推定して1870年に発掘を開始した。4度にわたる発掘で,丘から多層の城壁や宮殿,住居の跡を発見し,トロイア文明を設定。次いでミュケナイ,さらにオルコメノスティリュンスを発掘してミュケナイ文明を提唱し,エーゲ文明研究の端緒を開いた。著書に《トロイアの古代》《ミュケナイ》《イリオス》などがある。
→関連項目デルプフェルトトロイア戦争ミュケナイ文明

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュリーマン」の意味・わかりやすい解説

シュリーマン
Schliemann, Heinrich

[生]1822.1.6. ノイブコー
[没]1890.12.26. ナポリ
ドイツの考古学者。貧しい牧師の家に生れ,店員,商会の書記などの職業を経たのち,ロシアで実業家として成功し,巨富を得た。 41歳で業界を引退し,世界漫遊旅行ののち,パリで考古学を学ぶ。少年時代に感動を受けたホメロスの物語が架空のものではないと信じ,トロイ発見のためトルコのヒッサリクを発掘し (1871~73) ,城壁,財宝などを発見して,トロイ文明の実在を証明した。さらに,ミケーネ (76) ,オルコメノス (80) ,ティリンス (84~85) をも発掘し,ミケーネ文明の存在を明らかにした。彼は近世最大の考古学者の一人であり,その発掘方法には批判される点もあるが,ギリシアの先史文明を考古学的に実証した功績はきわめて大きい。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シュリーマン」の解説

シュリーマン
Heinrich Schliemann

1822~90

ドイツ生まれの考古学者。ホメロスの詩の歴史性を信じ,財を成したのち,考古学を修め,1870年トロヤの発掘に着手,成功を収める。その後さらに76年ミケーネ,78年イタカ,81~82年オルコメノス,84~85年ティリンスと発掘を続け,ギリシア本土における青銅器文明の存在を実証した。彼の説は多くの点で修正されたが,ギリシア先史考古学の基礎を築いた功績は大きい。アテネに墓がある。

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旺文社世界史事典 三訂版 「シュリーマン」の解説

シュリーマン
Heinrich Schliemann

1822〜90
ドイツの考古学者
少年時代にホメロスの作品を愛読してトロヤの実在を信じ,実業家として成功し巨富を築いたのち,自費でトロヤの丘の発掘に着手(1870)した。晩年まで7層の住居跡を判別し,城壁・住居・財宝を発見。1876年からミケーネ・ティリンス・オルコメノスなどを発掘して,エーゲ文明研究の基礎を築いた。著書に,自伝『古代への情熱』などがある。

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世界大百科事典(旧版)内のシュリーマンの言及

【トロイア】より

…この小丘は前3000年ころからローマ時代にいたる住居層が重なって,東西約100m,南北約115m,高さ36mほどの遺跡の丘となっていた。伝説上のトロイアの都が実在すると信じたシュリーマンが,1871年はじめて手をつけ,以来4回の発掘によって,宮殿,城壁,財宝を発見し,多くの著書によってその信念を実証した。彼の死後は協力者であったデルプフェルトが1893‐94年に精密な発掘調査を行い,トロイア遺跡の各時期,遺構,遺物の科学的解明を行った(《トロヤとイリオン》1902)。…

【ミュケナイ】より

…近代ギリシアの独立後,1837年にアテネ考古学協会が設立され,41年に協会の一幹部が同協会の事業として試みたのがミュケナイ発掘の最初である。次いで74年に,前年トロイアにおいて〈プリアモスの財宝〉を掘り当てていたシュリーマンがアクロポリスにおいて34ヵ所の試掘を行った。本格的な発掘は76年城門内の円形墓域において行われ,5基の竪穴墓から黄金の仮面をはじめとする大量の黄金製品と青銅刀剣類その他の副葬品が出土した。…

※「シュリーマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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