ドーソン(英語表記)D'Ohsson, Abraham Constantine Mouradgea

デジタル大辞泉 「ドーソン」の意味・読み・例文・類語

ドー‐ソン(Do Son)

ベトナム北部の町。港湾都市ハイフォンの南東約20キロメートル、トンキン湾に面する。保養地として知られ、カジノもある。

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精選版 日本国語大辞典 「ドーソン」の意味・読み・例文・類語

ドーソン

  1. ( Christopher Henry Dawson クリストファー=ヘンリー━ ) イギリス宗教哲学者、文化史家。カトリック精神に基づいた統一的な文化史学を提唱。著に「ヨーロッパの形成」など。(一八八九‐一九七〇

ドーソン

  1. ( Dawson ) カナダ北西部、ユーコン川とその支流クロンダイク川との合流点にある町。一九世紀末以来、クロンダイク鉱山のゴールドラッシュで発展した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドーソン」の意味・わかりやすい解説

ドーソン
D'Ohsson, Abraham Constantine Mouradgea

[生]1780. イスタンブール
[没]1855. ベルリン
スウェーデンの外交官,歴史家。アルメニア系。『チンギス・ハンからチムール・ベイすなわちタメルランにいたるモンゴル族の歴史』 Histoire des Mongols,depuis TchinguizKhan jusqu'à Timour Bey ou Tamerlan (通称『ドーソン蒙古史』,4巻,1834~35) を著わした。アラビア語ペルシア語,トルコ語,シリア語など十数ヵ国語の根本史料二十数種を駆使し考証精密で,出典を明示し,現在も利用されている。また『10世紀におけるカフカス,黒海,カスピ海北方の諸民族,あるいはアブル・カシムの旅行記』 Des peuples du Caucasse et des pays au nord de la Mer Noire et de la Mer Caspienne,dans le Xe siècle,ou Voyage d'Abouel-Cassim (28) も著名。

ドーソン
Dawson, Christopher Henry

[生]1889.10.12. スキプトン
[没]1970.5.25. バドリーソルタートン
イギリスの宗教哲学者,宗教史家,文明評論家。オックスフォード大学卒業後,1914年カトリックに改宗。宗教が社会と個人の精神的根底であるという思想から,社会学と宗教哲学の境界上の問題,特にヨーロッパ文明における宗教的なものの働きを研究。また進歩観念による宗教の世俗化がヨーロッパの没落の原因であるとして近代批判を展開。主著『進歩と宗教』 Progress and Religion (1929) ,『ヨーロッパの形成』 The Making of Europe (32) ,『宗教と近代国家』 Religion and the Modern State (35) など。

ドーソン
Dawson

カナダ,ユーコン准州の町。ユーコン川とクロンダイク川の合流点のユーコン川沿いの細長い台地にある。北緯 64°という高緯度にあり,6月後半はほとんど終日明るい。1月の平均気温-29℃,7月平均気温 16℃で厳寒。 19世紀後半のゴールド・ラッシュ最盛期には人口3万を数えたが,1921年以降は 1000人以下となった。 1898~1953年ユーコン准州の州都であったが,以後南部のホワイトホースに移った。金採掘は 66年に終了。カナダ騎馬警察隊の分遣隊がおかれる。人口 972 (1991) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「ドーソン」の意味・わかりやすい解説

ドーソン
Dawson

カナダ,ユーコン・テリトリー西部のフロンティアの町。人口1900(1991)。クロンダイク川がユーコン川に合流するところにある。町名は,G.M.ドーソンというカナダの地質学者が1887年にユーコン川を探検したことによってつけられた。96年にクロンダイク地方で金鉱が発見されてゴールドラッシュが始まり,98年には人口2万5000人にも達したが,1905年にラッシュは終わり,以後人口も減少した。現在,金,銀,鉛などの鉱石の集散が行われる。
執筆者:


ドーソン
Christopher Henry Dawson
生没年:1889-1970

イギリスの歴史家。オックスフォード大学に学び,1914年,英国国教会よりカトリックに改宗。歴史哲学とは異なった歴史のなかの大きな潮流を取り扱う形而上史学metahistoryを提唱した。ヨーロッパを形成したのはカトリック教会であるとの確信から,中世から近代へかけての文化の根底がキリスト教的価値観に由来することを証明しようとした。主著《進歩と宗教》(1929),《ヨーロッパの形成》(1932)など。
執筆者:


ドーソン
Abraham Constantin Mouradgea D'Ohsson
生没年:1779-1851

アルメニア系のスウェーデン国外交官,歴史家。イスタンブール生れ。外交官としてパリ,ハーグ(1816-35),ベルリン(35-51)に駐在,ベルリンで死亡した。ペルシア,アラビア,トルコ,シリアその他十数ヵ国語に通じ,これらの言語で書かれた根本史料を,精密な考証を加えて駆使し,平易で程度の高い通史である《モンゴル帝国史》(1834-35)4巻を著した。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドーソン」の意味・わかりやすい解説

ドーソン(Christopher Henry Dawson)
どーそん
Christopher Henry Dawson
(1889―1970)

イギリスの歴史家、文化哲学者。カトリック・キリスト教の立場から、ヨーロッパ諸国の社会文化史の共通基盤を中世キリスト教に求め、現代ヨーロッパがそれに立ち返るべきことを主張した。その根底には、文化は宗教に依拠してのみ正しく発展しうるという文化哲学的な洞察がある。著書に『進歩と宗教』Progress and Religion(1929)、『ヨーロッパの形成』The Making of Europe(1932)、『宗教と西欧文化の勃興(ぼっこう)』Religion and the Rise of Western Culture(1950)などがある。

[金井新二 2015年7月21日]

『C・ドウソン著、野口啓祐訳『中世のキリスト教と文化』(1969/新版・1996・新泉社)』


ドーソン(カナダ)
どーそん
Dawson

カナダ北西部、ユーコン・テリトリー西部の町。人口1251(2001)。クロンダイク川とユーコン川の合流点に位置する。地名は、1887年にユーコン川を探検したカナダ人地質学者G・M・ドーソンに由来する。1896年、ドーソンの南東5キロメートルのボナンザ・クリークで金鉱が発見され、一時は人口が2万人にも達したが、1905年をピークに以後人口は減少した。

[山下脩二]

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