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ナスティオン

百科事典マイペディアの解説

ナスティオン

インドネシアの軍人。独立後は陸軍参謀長,国防相,国家治安相,暫定国民協議会議長を歴任。1965年九月三〇日事件スカルノ追放に力があった。

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世界大百科事典 第2版の解説

ナスティオン【Abdul Haris Nasution】

1918‐2000
スカルノ時代のインドネシア共和国軍の実力者。北スマトラ,タパヌリ地方のコタノパンに生まれた。バタク族出身。オランダ植民地時代に師範学校,高等学校を卒業,一時教職についたが,のち1940年にバンドンの士官学校に学び,蘭印軍東ジャワ管区に配置された。それ以降,一貫して職業軍人としての経歴を歩んだ。日本軍政中は,バンドン青年団長,バリサン・プロポール(前衛隊)の地区長をつとめた。独立後,バンドンに司令本部をもつシリワンギ師団第1管区長として対オランダ独立戦争(1945‐49)で活躍した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ナスティオン
なすてぃおん
Abdul Haris Nasution
(1918―2000)

インドネシアの軍人。北スマトラの民族集団バタック出身。オランダ植民地下の蘭印(らんいん)軍で士官候補生となる。1945~1949年の独立戦争期にシリワンギ師団長として卓越した軍政手腕を発揮。1950年陸軍参謀長。1952年、政党廃止を求める「十月十七日事件」を指導して解任。1955年ふたたび陸軍参謀長。1957~1959年の地方軍部のスマトラ反乱を鎮圧。1959年国防相、1962年国軍参謀長を歴任、スカルノ体制下で台頭した共産党に対抗する軍部の中核を占める。1965年「九月三〇日事件」で暗殺を免れたが負傷、共産党弾圧の指揮をスハルト将軍にゆだねた。1966年、スハルト体制下の暫定国民協議会議長、1972年引退。1970年代後半から体制批判色を強め、1980年「グループ50」とよばれる体制批判運動に関与。敬虔(けいけん)なイスラム教徒で、国防に関する著作も多い。[黒柳米司]

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367日誕生日大事典の解説

ナスティオン

生年月日:1918年12月3日
インドネシアの軍人,政治家
2000年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内のナスティオンの言及

【九月三〇日事件】より

…同年9月30日22時,インドネシア共産党の率いる革命評議会の軍隊はジャカルタ郊外のハリム空軍基地に集結し,翌日深夜2時30分に7将軍連行作戦を展開した。連行隊は国防相ナスティオン大将,陸軍司令官兼参謀長ヤニ中将,防空司令官ハルヨノ少将,陸軍情報部長パルマン少将,参謀本部補佐官ストヨ准将,陸軍補給部長パンジャイタン准将,スプラプト准将宅を襲撃し,逃避したナスティオンを除く6将軍を殺害した。革命評議会は中央放送局,中央郵便局,電電公社などを占領し,同日早朝〈九月三〇日運動宣言〉を布告した。…

※「ナスティオン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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