ニューイングランド(英語表記)New England

翻訳|New England

デジタル大辞泉 「ニューイングランド」の意味・読み・例文・類語

ニュー‐イングランド(New England)

米国北東部、メーンニューハンプシャーバーモントマサチューセッツロードアイランドコネティカットの6州からなる地方。英国からピューリタン清教徒)が最初に入植した地。

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精選版 日本国語大辞典 「ニューイングランド」の意味・読み・例文・類語

ニュー‐イングランド

(New England) アメリカ合衆国北東部の地域。一六二〇年メイフラワー号が到達したところで、イギリス系移民により、アメリカで最も早く開けた。一六一四年にこの地方を探検したジョン=スミスが命名。

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改訂新版 世界大百科事典 「ニューイングランド」の意味・わかりやすい解説

ニューイングランド
New England

アメリカ合衆国北東部の地域。マサチューセッツ,コネティカット,ロード・アイランド,ニューハンプシャー,バーモント,メーンの6州からなる。1614年この地方を探検したイギリス人J.スミスによりニューイングランドと名づけられ,20年プリマスに入植したピルグリム・ファーザーズをはじめ,以後多数のピューリタンが渡来,彼らを中核とする特色ある地域として発展した。東と南が大西洋に面し,西方はアパラチア山脈に連なる山地に画される。内陸部に通じる河川もなく,地域的一体性が助長された。また,土地がやせていたため,南部と異なり大農園制ではなく自給的農業が営まれた。ニューイングランド人は自立心が強く,気質として公共への義務感,営利の才,勤倹な生活態度などが指摘される。ヤンキーという言葉も元来は彼らを指して用いられた。自治的村落共同体を地盤タウン・ミーティングと呼ばれる直接民主制が植民地時代から発達している。また,教育重視がピューリタン以来の伝統である。漁業,海運業,造船業が早くから栄え,19世紀中葉には綿工業の中心地ともなった。合衆国の発展にともない,ニューイングランドの相対的地位は低下したが,商工業の活力は失われていない。この地方の中心であるボストンは今日,ニューヨークを核とするメガロポリス北端に位置する。なお,〈アメリカ合衆国〉の項目の[地誌]を参照されたい。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニューイングランド」の意味・わかりやすい解説

ニューイングランド
New England

アメリカ合衆国北東部,メーン,ニューハンプシャー,バーモント,マサチューセッツ,ロードアイランド,コネティカット6州の総称。 1614年ロンドンの商人数人が渡来,そのときの船長ジョン・スミスが「ニューイングランド」と名づけた。その後コッド岬に,ピルグリム・ファーザーズと呼ばれる清教徒たちが上陸したのを契機にイギリス人,フランス人,ドイツ人などが移住した。 36年に,ハーバード,エール両大学の前身の学校が設立されたほど,合衆国で最も文化の高い地域で,18世紀には,アメリカ独立運動の温床となった地域である。全域は西方にグリーン山脈,バークシャー丘陵があり,東方にゆるやかに傾斜して大西洋岸にのぞみ,氷食谷や湖沼が多い。気候は,一般に冷涼で,最低月平均気温が-11.9℃ (1月) ,最高は 23.2℃ (7月) 。ニューヨーク,ボストンなどの大市場を控えて近郊農業が発達。起伏に富む海岸線は,前面にニューファンドランドの世界的大漁場を控えて,ボストン,ポーツマスの漁港の発展を促進。 17世紀中頃から製塩,製鉄工業が興り,次いで,製靴,織物,パイプ,造船などの工業が盛んになり,1980年代にはエレクトロニクス産業の一大中心地となった。資源不足のため労働集約的工業が主。中心都市はボストン。面積 16万 3700km2。人口 1798万 8411 (1990) 。

ニューイングランド
New England

オーストラリア,ニューサウスウェールズ州北東部,グレートディバイディング山脈の丘陵地帯に広がる豊かな農牧地域の地方名。ヒツジ,肉牛,トウモロコシ,野菜などを産する。中心都市はアーミデイルおよびグレンインズ (人口 6138〈1991推計〉) 。

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百科事典マイペディア 「ニューイングランド」の意味・わかりやすい解説

ニューイングランド

米国北東部,大西洋岸のメーン,ニューハンプシャー,マサチューセッツ,ロード・アイランド,コネティカットおよびバーモントの6州を含む地域の総称。1614年にこの地を探検した英国人J.スミスが命名。1620年メーフラワー号の102人のピルグリム・ファーザーズが移住,プリマス植民地を創建。ニューイングランド連合(1643年―1684年)の組織など独立性が強く,ピューリタニズム,教育熱心などから独自の文化を生んだ。北部から西部にかけて山地で内陸部と隔てられ,気候寒冷で土地は比較的やせており,高地には氷食地形がみられる。資源の不足のため軽工業,精密工業が発達。
→関連項目バーモント[州]ボストンロード・アイランド[州]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ニューイングランド」の解説

ニューイングランド
New England

アメリカ北東部,マサチューセッツ,コネティカット,ロードアイランド,ニューハンプシャ,メーン,ヴァーモントの6州をさしていう。17~18世紀にピューリタンによって開拓され発展したが,19世紀半ばからカトリックの移民も多く流入した。植民地時代以来タウン制度のような民主的制度を持ち,アメリカで最も早く教育を普及させ,学術文化の中心であることを誇ってきた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ニューイングランド」の解説

ニューイングランド
New England

アメリカ合衆国北東部,メーン・ニューハンプシャー・バーモント・マサチュセッツ・ロードアイランド・コネチカットの6州からなる地域
1620年からピューリタンのピルグリム−ファーザーズなどの宗教的・経済的理由による移住によって早くから開拓され,商工業地域として発達。その後,しだいに本国に対する独立性を強め,独立戦争では南部植民地とともに戦った。中心地はボストンで,マサチュセッツ工科大学,ハーバード大学などの名門大学がある。

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世界大百科事典(旧版)内のニューイングランドの言及

【アメリカ合衆国】より

… 大西洋岸からメキシコ湾岸にかけては,低平で湿地の多いコースタル・プレーン(海岸平野)が続く。大西洋岸の海岸平野は,北部のニューイングランドでは幅が狭く,南へいくほど広い。この地域はバージニア,マサチューセッツなどのように,北アメリカ植民史ではもっとも古い歴史をもつ地域の一つである。…

【大航海時代】より

…オランダはこのほか北アメリカ大陸にも進出し,1614年にはニューアムステルダム(現在のニューヨーク)を建設した。 新大陸におけるイギリスの進出はカリブ海(1604以降),バージニア(1607以降),ニューファンドランド(1610以降),ニューイングランド(1620以降)で行われた。バージニア,ニューイングランド植民地は農業をその基礎としていたが,事実上はその農産物をカリブ海などのスペインの植民地に輸出していたのであって,その限りにおいてイギリスの植民地はスペインの植民地に対して補足的役割を果たしていたということができる。…

※「ニューイングランド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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