百科事典マイペディアの解説
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… しかし,紙,広告に課税してメディアを経済的に統制する1712年の捺印法は19世紀(基本部分の撤廃は1855年)まで威力を振るい,フランス,アメリカが1830年代に現実化した新聞の民衆化,安い大衆紙の出現を妨げた。新聞の本格的大衆化は,1896年,ノースクリッフの創刊した《デーリー・メール》に始まる。やさしい短い文体は新しい読者層をとらえ,99年ボーア戦争の勃発とともに,100万部に近い大新聞に伸びた。…
… しかし,87年アイルランド独立運動指導者で下院議員でもあるC.S.パーネルがテロリズムを扇動している書簡を紙上に公表し,激烈な攻撃を加えたが,その後の調査で実はこの書簡類が偽造されたものであることがわかり,経済的にも多大の損失を被り,また道義的にも大きく権威を失墜した。その後は新興の大衆新聞に押されて下降線をたどり,ついに1908年,その潮流の代表者ノースクリッフによって買収された。彼は《タイムズ》をも自己の政治目的のため利用しようとして多くの批判を受けたが,老朽化した設備・機構を改革し,3万8000台に落ちこんでいた部数を,第1次大戦直前には約31万8000部に伸ばすことに成功した。…
…3年後にロンドンに移転し,同時にニューンズは,たとえば鉄道事故にあった読者に100ポンドの保険金を提供したり,金貨の入った壺を隠し,紙上のヒントに従って探しあてた読者にそれを贈呈するなど,それまでにない販売促進法で90万部近く部数をのばし,大量の広告を集めることに成功した。後に《タイムズ》の経営者となるノースクリッフはこの新週刊紙への寄稿者として,その手法の意味を十分に学んだ。マス・ペーパーの時代に先鞭をつけたメディアである。…
…イギリスの大衆紙。ノースクリッフにより1896年創刊された。8ページ建てで,紙代は破格の1/2ペニーであった。…
※「ノースクリッフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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