翻訳|high school
アメリカの公立中等学校。アメリカ的大衆デモクラシーの産物で,中等教育大衆化の世界的傾向の先頭を切った学校。アメリカの中等教育も,最初はヨーロッパ的グラマー・スクールの少数エリートに対する古典人文主義教育をモデルにしていたが,B.フランクリンが創設した実学を教えるアカデミー(1751)や,ハイ・スクールの起源をなすボストンの公立学校(1821)などは,新興の市民層の生活に結びつく教育を提供しようとした。ハイ・スクールの発展は南北戦争後の経済成長に支えられ,またとくにハイ・スクール維持に公費を充てることが合憲であるというカラマズー判決(1874)が出て以降,急速に進み,1930年代には同年齢層の50%以上が通学するようになった。
これは青年期問題が社会問題化する過程に照応している。おとなの社会生活に入る年齢を延期された青年が大量に進学することによって生徒構成が多様化し,その科目は西欧に先例のない非アカデミックな内容(職業,家庭,芸能関係)を含むものへと拡大するが,他方で大学は高いアカデミックな水準を要求し,この間に葛藤が生じる。そこに履修科目自由選択制が著しく発展する。またハイ・スクールは,社会人になるための学校教育の完成と大学進学のための準備教育との二重機能のジレンマを抱え,中途退学者,学力低下の問題に悩むことになる。年限は8年制の初等学校に続く4年制(8・4制),6年制に続く6年制(6・6制),3年制のジュニアと3年制のシニアを組み合わせたもの(6・3・3制)などがあるが,3・3制が普及し,これが第2次大戦後の日本の学校体系のモデルとなった。
執筆者:宮沢 康人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
アメリカの中等学校。民主的な市民の形成を目ざす、19世紀に発足した当初から希望者全入の総合制学校である。初め8・4制の4の部分を担当していたが、20世紀に入り六・三・三制の普及に伴い、ジュニア、シニアの二段階制をとる型が多くなった。無選抜、無償のゆえに急速に普及し、アメリカをして世界一の教育普及国にした。大幅な選択科目制を採用し、生徒の多様な要求にこたえた反面、学力低下が問題視され、近年さまざまの試みがなされている。
[桑原敏明]
… 早くから複線型の学校制度を脱却したのはアメリカであり,H.マン(1796‐1859)は自然法的権利としての教育を受ける権利を強調し,この考えから公教育費の増額,学校数を増加させる運動がすすんだ。さらにこれを受けて,1860年代には統一基礎学校としての初等学校(コモン・スクールcommon school)がつくられ始め,19世紀末には,これに中等学校(ハイ・スクールhigh school)を接続させる方式がとられるようになった。その多くは8・4制であり,20世紀に入って初等学校最終の2学年と中等学校の第1学年とをあわせて下級中学校(ジュニア・ハイ・スクールjunior high school)を設け,6・3・3制がほぼ半分の州で実現した。…
…こうしてドイツのギムナジウム,フランスのリセにほぼ対応するイギリス型のエリート選抜の中等学校として定着した。なお,アメリカでは17世紀に同名の学校が移植されたが,18世紀末以後のアカデミー,19世紀末以後のハイ・スクールに席を譲った。【宮沢 康人】。…
※「ハイスクール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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