学力低下(読み)がくりょくていか

大学事典 「学力低下」の解説

学力低下
がくりょくていか

日本の教育における学力低下は,おもに1990年代に大学の教員を中心に問題提起された。しかし,学力低下は突然起こったわけではない。1967年(昭和42)に始まった東京都高校入試における学校群制度,80年に始まった「ゆとり教育」,79年から始まった大学入試の共通一次試験,80~90年代の大学改革と,教育制度が変化するとともに進行してきた現象である。

教育改革

学力低下に影響を与えた変化としては,国公立大学の「入学試験制度」の改革と,初等・中等教育における「ゆとり教育」の実施が考えられる。前者は大学の入学試験科目の減少を,後者は高校までの教育内容の希薄化を結果としてもたらした。大学入試は,1979年に共通一次試験制度が導入されてしばらく,国公立大学の二次試験がすべて同一日に行われ,受験生は国公立大学を1校しか受けられなくなった。また共通一次試験の試験科目は5教科7科目で,一般に3教科入試で行われる私立大学と比べると,受験生にとって国公立大学の受験は負担が多い選択だった。結局,より多くの受験生が,最初から私立大学のみを目指して勉強するようになり,国公立大学離れが進んだ。結果として,受験に必要な3科目以下しか勉強しない学生も多くなった。そして,共通一次試験が実施されてから,5年ほどして大学の教員が学生の学力低下を認識し始めることになる。

 国立離れを解消するために,1987年から共通一次試験の科目数が5教科5科目に削減され,同時に国公立大学を二次試験入試日程が前期のAグループと後期のBグループに分け,受験生が二つの国公立大学を受験することを可能にする入試制度が始まった。また,1990年(平成2)から共通一次試験はセンター試験(大学入試センター試験)となり,国公立大学は採用するセンター試験の科目数を自由に選べるようになった。多くの国公立大学が前期・後期の2回に分けて入学試験を行い,後期試験は論文,総合科目,少数科目等のユニークな試験を採用した。1980年代,国公立大学はまだ共通一次試験で5教科を課していたとはいえ,国立大学の独自試験(二次試験)では科目数が減少傾向にあった。1988年からの入学者選抜実施要項には「出題教科・科目数は入学志願者の負担を軽減する方向で適切な見直しを不断に行うように配慮すること」とあり,文部省も科目数の減少を大学に要求していた。

 そういう状況の中で,1991年2月8日に大学審議会が提出した「大学教育の改善について」という答申がきっかけとなり,教養部の改革が行われるようになった。その結果,90年代にほとんどの国立大学で,大学1年生と2年生の授業(教養課程)を受け持っていた教養部が改組され,教養課程の必修の授業が少なくなり,教養課程の科目選択は大きく自由化された。これにより,より少ない科目で受験して入学した学生にとって,入学後も幅広い学習を必要としなくなり,進学,卒業が容易になったのである。一方小学校中学校,高等学校の「ゆとり教育」は,小学校でいえば,1977年,89年,98年のそれぞれに告知された3回にわたる指導要領の下で進められてきた。1977年は授業時間を削減した「ゆとりのカリキュラム」,89年は知識よりも意欲と関心を重視する「新学力観」,98年は学習内容の3割削減と体験重視の「生きる力」による指導要領が告知された。

[学力低下の指摘]

1990年代は,センター試験の導入を機として,一芸入試に代表される入学試験科目数の削減による大学生の学力低下,ゆとり教育では新学力観の導入による小・中・高校生の学力低下が大きな問題であった。そして,新学力観をさらに徹底した内容の2002年実施の指導要領の導入に反対する議論も起きていた。

 大学生の数学力の低下については,日本数学会の大学数学基礎教育ワーキンググループの社会科学系分科会のメンバーであった京都大学西村和雄と慶応大学戸瀬信之が,1998年に算数・数学の問題で大学生の数学力の調査をした。難関私立大学の経済学部生の場合,大学を問わず,ほぼ2割の学生が小学校の問題でつまずいていた。同じく日本数学会のワーキンググループが,1995~96年に全国の大学の数学の教員102人にアンケート調査をしている。その結果,大学生の学力についての問いに「向上している」が0%で,「低下している」が79%であった。「気づいたのはいつ頃か」という問いには,共通一次試験が始まって5年後の「1985年から」が21%で一番多く,センター試験の始まった「1990年前後から」が15%で続いた。

 学力低下の原因では,1999年に駿台教育研究所が全国の高校900校にアンケートを行っていて,大学入試の少数科目制が「学力低下を招いている」と結論づけられている。東京大学では2年次の秋学期に,工学部進学者に対し,同じ数学の問題で学力テストを行っていたが,1981年から94年までの間に100点満点で54.0点であった平点が42.3点に,すなわち20%もの低下があったことが関係者から報告されている。

政策の変化]

2000年ころからは,多くのマスコミが学力低下を取り上げるようになり,大学や行政も次第に対応するようになってきた。まず,国立大学協会の入学試験のあり方を考える第二常置委員会(委員長:杉岡洋一,当時九州大学学長)は,2000年9月11日に「国立大学がセンター試験で5教科7科目を課す」という提言を発表した。そして文部省は2001年度の大学入学者選抜実施要項から「出題教科・科目数は入学志願者の負担を軽減する方向で適切な見直しを不断に行うように配慮すること」の一文を削除した。2002年1月17日に遠山敦子文部科学相が「学びのすすめ」と題し,宿題,放課後の補習,始業前の読書,土曜日の補習も可能とするアピールを出した。2004年12月,PISA(Programme for International Student Assessment)の結果が発表された直後に,中山成彬文部科学大臣が文部(文部科学)大臣として初めて学力低下を認めた。

 そのような状況で,大学も学力低下への対応を始め,文部科学省の調査によると,2008年度で,全国の国公私立大学723校のうち,高校レベルの補習を実施するなど,新入生の学力不足に配慮した措置を取っている大学は473校で,全体の65%に上っている。282校が学力別のクラス分け,264校が補習授業,120校が既習組・未習組に分けた授業を行っている。また,入学後の学習につなげる初年次教育に取り組む大学は595校で82%を占めた。その一方,少数科目入試,一芸入試に加えて,学力試験を課さない入学者選抜の拡大は止まっていない。私立大学の場合,2012年の推薦入試の入学者が40.3%,AO入試の入学者が10.2%で,合わせると入学者の半数を超えている。推薦入試,AO入試を問わず,何らかの形で客観的な学力を測る仕組みを入れることが,学力低下を止めるためにも必要とされる。
著者: 西村和雄

参考文献: 戸瀬信之・西村和雄「日本の大学生の数学力―学力調査」,岡部恒治・戸瀬信之・西村和雄編『分数ができない大学生』東洋経済新報社,1999.

参考文献: 西森敏之「大学生の数学の学力は低下しているか?」,岡部恒治・戸瀬信之・西村和雄編『小数ができない大学生』東洋経済新報社,2000.

参考文献: 森正武「東大工学部における数学教育」『大学における数学基礎教育の総合的研究』(科学研究費基盤研究報告集,代表者:三宅正武),1997.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

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