パス・エステンソロ(英語表記)Paz Estenssoro, Víctor

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パス・エステンソロ」の意味・わかりやすい解説

パス・エステンソロ
Paz Estenssoro, Víctor

[生]1907.10.2. タリハ
[没]2001.6.7. タリハ
ボリビアの弁護士,政治家。ラパスのサンアンドレス大学で教鞭をとったのち,1941年新政党「民族革命運動」を創立した。 45年 G.ビジャロエル政権の蔵相となったが,翌年同政権崩壊後ブエノスアイレスへ亡命。 51年の選挙で民族革命運動から推されて勝ち,52~56大統領就任。「ボリビア革命」と呼ばれる経済社会改革を実施し,三大スズ鉱山国有化などを行なった。 56~60年はイギリス駐在大使をつとめ,60年の大統領選挙で再選,64年3選されたが,同年 11月 R.バリエントス・オルトゥニョ副大統領の軍事クーデターで打倒され,ペルーに亡命。 71年8月 H.バンセル・スアレス政権に協力のため帰国したが,74年1月再び国外に追放された。 85~89年大統領として4期目をつとめ,きびしい緊縮政策インフレを鎮静させた。

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百科事典マイペディア 「パス・エステンソロ」の意味・わかりやすい解説

パス・エステンソロ

ボリビアの政治家。大学教授,弁護士を経て,1940年国会議員。1941年民族主義的革命運動(MNR)の創立に参加。アルゼンチンに亡命したまま軍事政権打倒のクーデタを指導して成功させ,1952年―1956年MNR革命政権の大統領として,スズ鉱山国有化,農地改革,軍の解体,非識字者も含めた普通選挙権法などの急進的な変革を実施。1960年再選されたが,しだいに中道化,政権は腐敗し,1964年にも当選したがクーデタで退陣,ペルーへ亡命。その後,政界に復帰し,財政破綻と経済混乱のなか,1985年大統領に返り咲いた。国営企業の民営化,国営鉱山の閉山,鉱山労働者の大量解雇などを含む緊縮財政と経済の自由化を実施してインフレ克服に成功。
→関連項目ボリビアレチン

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「パス・エステンソロ」の意味・わかりやすい解説

パス・エステンソロ
ぱすえすてんそろ
Víctor Paz Estenssoro
(1907―2001)

ボリビアの政治家。南部のタリハ市出身。ラ・パスのサン・アンドレス大学の経済学教授から政治家となり、1941年に革新政党である国民革命運動(MNR)の創設に参加した。1943年にビジャロエル政権の財務大臣となり、1946年に同政権が崩壊するやアルゼンチンに亡命。1952年の革命でMNRが政権につくと帰国して大統領に就任し、在任中(1952~1956、1960~1964)に、錫(すず)鉱山の国有化、農地改革、非識字者への選挙権付与などの革命的改革を行った。1964年3選されるが、2期目の時期の右傾化政策や政権の腐敗などがもとで起きた軍事クーデターにより同年失脚。その後長期にわたる亡命から帰国し、1985年の選挙で奇跡の復活を遂げ同年8月4度目の大統領に就任した。1989年退任。

[加茂雄三]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「パス・エステンソロ」の解説

パス・エステンソロ
Víctor Paz Estenssoro

1907~2001

ボリビア革命の指導者,大統領(在任1952~56,60~64,85~89)。1941年中間階級と革新派将校を糾合し,国家社会主義を唱える「民族主義革命運動(MNR)」を結成した。52年武装蜂起し,軍政を打倒して大統領となる。錫(すず)鉱山の国有化,農地改革など,ボリビア革命と呼ばれる社会改革を断行した。85年第3次政権を成立させ,経済自由化,緊縮財政政策を実施した。

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