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革新政党 カクシンセイトウ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

革新政党
かくしんせいとう

現体制に対し改革を主張する政党。「保革対立」という場合の反保守主義(→保守主義)の勢力を意味し,一般に社会党や共産党をさす。ヨーロッパ諸国などにおいては,第2次世界大戦後,政党の包括政党化に伴ってイデオロギー対立が弱まり,保革両陣営を含む連立政権が成立するなど,政策距離は戦前ほど大きなものではなくなった。第2次世界大戦後の日本の政治においては,保革の対立軸は日米安全保障条約自衛隊憲法改正天皇制などが中心を占め,1960年の安保改定問題は保革対立の頂点であった。以後,経済成長の負の側面としての公害問題,社会福祉政策の立ち遅れが表面化して革新勢力が増したが,1980年代には財政悪化に伴い,保守勢力が安価な政府行政改革,規制緩和,民営化などを打ち出し,革新勢力と対立した。1990年代に入り,冷戦の終焉や 55年体制の崩壊が生じ,1994年には自由民主党日本社会党の連立政権が誕生するなど,安全保障政策を中心とした伝統的な対立軸の基盤は大きく変容した。(→中道政党保守政党

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

革新政党
かくしんせいとう

既成の国家体制に基本的な改革を求める政治党派が革新政党である。第二次世界大戦後、日本国憲法によってもたらされた政党政治は、200を超える大小の政党が乱立する多党化状況から始まり、やがて、米ソの「冷戦構造」を反映する保守政党と革新政党の「二大政党制」へ向かう勢いを示した。資本主義体制保持の立場にたつ日本自由党と日本進歩党が保守政党の代表であり、社会主義体制への転換を求める日本社会党と日本共産党が革新政党の代表であった。しかし、日本社会党の改革路線と日本共産党の革命路線の間には原理的な対立があり、革新政党が単一の政党となることはなかった。1950年代に入って、保守政党の側において「保守合同」が進行し、二大政党制の機運が熟したかにみえたが、「革新統一」が実現することはなく、自由民主党と日本社会党による二大政党制は「1と2分の1政党」制に終わっている。しかし、日本社会党と日本共産党、民社党、公明党などが議席の「3分の1」を占めることによって、広義における革新政党が護憲派としての役割を果たした結果となっている。1990年代以降、資本主義体制と社会主義体制が収斂(しゅうれん)する状況にあって、日本社会党は党名を社会民主党に変更し、日本共産党は綱領の改定を行って、ともに漸次的改良の党となったが、両党ともに、かつて第二次世界大戦直後期に革新政党として議会に占めた改革派としての位置と役割をみいだせないでいる。[高橋彦博]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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