パンアテナイア祭(読み)パンアテナイアさい(その他表記)Panathēnaia

改訂新版 世界大百科事典 「パンアテナイア祭」の意味・わかりやすい解説

パンアテナイア祭 (パンアテナイアさい)
Panathēnaia

〈全アテナイの祭〉という意味。古代ギリシアのアテナイにおける最も重要な祭典。前6世紀中ごろに僭主ペイシストラトスによって整備された。祭神エレクテイオンに祭られる守護女神アテナで,毎年その誕生日とされる盛夏のヘカトンバイオン月の28日(7月中旬ころ)に祝われたが,4年に1度は大祭が開催された。音楽,舞踏など各種の競技,供犠などがあるが,最大の行事は戦車隊や騎兵隊や少年少女から成る大行列で,その光景はパルテノンフリーズ彫刻に荘厳かつ生き生きと描き出されている。少女たちがエレクテイオン神殿に鎮座する古い由緒ある女神像に着せかえるため新しい衣(ペプロス)を織り上げておき,それをこの行列でささげ持って運ぶ。若者たちは犠牲獣を連れて歩く。各種の競技の勝利者には〈パンアテナイアアンフォラ〉と呼ばれる特別の容器に入れた聖なるオリーブ油が授与され,犠牲獣の肉は一般民に分配された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「パンアテナイア祭」の意味・わかりやすい解説

パンアテナイア祭
ぱんあてないあさい

古代ギリシアのアテネ(アテナイ)の新年祭。パナテナイア祭ともいう。パンアテナイアPanathenaiaとは「アテネ女神の大祭典」の意味で、アテネ最大の祭典であった。4年目ごとの大パンアテナイア祭と、毎年行われる小パンアテナイア祭とがあり、いずれもアテネの第1月ヘカトンバイオン月(現在の7、8月にあたる)の、アテネ女神生誕の日とされている第28日を中心に前後4日以上続いた。アルコンをはじめとするアテネの高官や、市民、若者、少女たちが参加したこの祭りの中心は、豪華な行列と、羊・牛などの供犠(くぎ)、そして各種の競技である。第27日夜の前夜祭後の夜明けとともに郊外のアカデモスの森から聖火がもたらされ、パルテノン神殿浮彫りに描かれたような市民、長老、騎馬隊、奏楽隊などの祭列がアクロポリスに向けて出発した。そして多数の犠牲獣が神々に捧(ささ)げられ、その肉はアゴラで市民に分配された。また戦車競走の優勝者には、神聖なオリーブ樹から採取された油を詰めた、アテネ女神の描かれた壺(つぼ)が与えられた。

[前沢伸行]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パンアテナイア祭」の意味・わかりやすい解説

パンアテナイア祭
パンアテナイアさい

「パナテナイア祭」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のパンアテナイア祭の言及

【パルテノン】より

…前身の旧パルテノンは,前490年のマラトンの戦における勝利の後着工されたが,再来したペルシア人による前480年のアクロポリス焼打ちのため,その建設途中で破壊された。現パルテノンは,その基盤を拡張利用したもので,前447年着工,総監督をフェイディアス,設計をイクティノス,施工をカリクラテスが担当,前438年には落慶式と盛大なパンアテナイア祭が催された。すべてペンテリコン産の大理石で造られた周柱式神殿で,東西各8本,南北各17本のドリス式円柱の高さは10.43m,ステュロバテス(最上床面)の面積30.88m×69.50m,ナオス(内室)は東のヘカトンペドン〈百尺の部屋〉と西のパルテノン〈乙女の部屋〉に隔壁により二分され,それぞれプロナオス(玄関間)とオピストドモス(裏玄関間)を備えていた。…

※「パンアテナイア祭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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