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パーベル[1世] パーベル

百科事典マイペディアの解説

パーベル[1世]【パーベル】

ロシア皇帝(在位1796年―1801年)。ピョートル3世,エカチェリナ2世の長男。フランス革命の影響を恐れ,徹底的な弾圧政治を行い,他国との交流を厳禁した。晩年英国と絶縁してフランスと提携を図ったため,貴族の不満を買い,暗殺。
→関連項目アレクサンドル[1世]ニコライ[1世]

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世界大百科事典 第2版の解説

パーベル[1世]【Pavel I】

1754‐1801
ロシア皇帝。在位1796‐1801年。ピョートル3世,エカチェリナ2世の長男。エカチェリナは孫のアレクサンドル(後に1世)を溺愛し,彼を皇位継承者と目していた。こうした仕打ちから偏執性向を強くしたパーベルの治世は支離滅裂で,施政方針があったとすれば,母帝のそれと反対を行おうとしたことといえる。1797年1月,長子相続による帝位継承法(基本法)を定めたのも強迫観念に由来する。貴族をからかうために,日曜・祭日の農奴の賦役禁止を明文化した。

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世界大百科事典内のパーベル[1世]の言及

【ロシア帝国】より

…再三の宮廷革命は,ピョートル1世が1722年の帝位継承法で皇帝に後継者指名権を与えたことにも原因があった。母親の永い在位中絶えず将来への不安に悩まされたパーベル1世(在位1796‐1801)は,即位直後に直系男子による継承順位を定め,皇位継承に安定性を与えたが,彼自身も宮廷革命で位と命を失った。宮廷革命はこれが最後になったが,モスクワ時代以来の功臣・寵臣に対する皇帝の御料地・国有地賜与とそれに伴う自由農民の農奴化もパーベル時代で終わり,絶対君主の家父長的支配の一つの特徴はロシアでも18世紀末で姿を消した。…

【ロマノフ朝】より

…これはピョートル1世が1722年に制定した帝位継承法が,君主に遺言による後継者指名権を与えていたためであり,また彼の改革によって特権を奪われた貴族が,皇帝をあやつって権力の回復をはかったからである。エカチェリナ2世の死後の96年に即位したパーベル1世はただちにこの継承法を廃し,父から順次年長の男児に,男児のない場合は年長の弟にという継承順位の原則を定めたので,これ以後,混乱はおこらなかった。またピョートル3世は,女帝エリザベータの姉で神聖ローマ帝国のホルシュタイン公に嫁したアンナの子であるため,厳密にはピョートル3世以後をロマノフ・ホルシュタイン・ゴットルプ朝という。…

※「パーベル[1世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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