改訂新版 世界大百科事典 「ビルゲハガン」の意味・わかりやすい解説
ビルゲ・ハガン (毗伽可汗
)
Bilgä Qaghan
生没年:684-734
突厥第二可汗帝国の第3代ハガン(可汗)。在位716-734年。復興の祖である阿史那氏のイルティリシュ可汗の長子。名は漢文史料で黙棘連(もくきよくれん)または黙矩(もくく)とされる。父の死(691)後,父の弟のカプガン(黙啜(もくてつ))・ハガンの時代にエニセイ川上流のキルギス遠征,九姓鉄勒鎮圧などに功を立て,西方地域の経営にあたった。黙啜の死(716)後,その一族や臣下を弟のキョル・テギン(闕特勤)が殺し左賢王として西方経略にあたる中で,黙棘連は推されてビルゲ・ハガンを称した。復興突厥の国力充実をはかる一方,一時はソグディアナにまで軍を送りその勢いを示した。また妻の父でイルティリシュ可汗の重臣だったトニユククTonyuquqを重用した。唐の玄宗皇帝と父子関係を結び,公主の降嫁を望んだほか,城壁築造,仏寺・道観の建立などを一時企てたほど中国農耕社会・文化に関心をよせた。これはトニユククやキョル・テギンにみられる遊牧騎馬戦士としての伝統的精神・行動と対照的である。長く行動を共にした弟のキョル・テギンを731年に失い,734年に自らも大臣によって毒殺された。
執筆者:梅村 坦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報