出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イスラーム法学上,ムフティーが照会者の求めに応じて示す,具体的問題についての法学意見。シャリーアのもとで本来は私的な法律相談として普及したが,特に西方イスラーム世界(マグリブ)やオスマン帝国では公的な制度となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…セルジューク朝は政府の任命する官職にしようとして失敗,オスマン帝国はイスタンブールのムフティーの職名とした(トルコ語でシェイヒュル・イスラムşeyhülislam)。ウラマーを統轄してカーディー(裁判官),ムフティーの任免権を握り,ファトワーfatwā(意見書)によってスルタンの国事行為を制約し,事実上シャリーア(イスラム法)施行の責任者となった。【嶋田 襄平】。…
…一方,イスラム国家であるオスマン帝国は,イスタンブールをはじめ各地にマドラサ(イスラム高等教育施設)を建設し,ハナフィー派法学を中心としたイスラムの諸学問を学んだウラマーたちに,帝国の司法と教育,および行政の一部を担当させた。法律制度は〈神の法〉であり唯一絶対性をもつシャリーアであり,その法解釈はムフティーにゆだねられたが,その最高権威者シェイヒュル・イスラム(シャイフ・アルイスラーム)は,トプカプ宮殿(宮廷)内の御前会議(ディーワーヌ・ヒュマーユーンdivan‐ı hümayun)の権限外にあって,スルタンやデウシルメ出身官僚層の政治的決定事項に対してシャリーアに照らした〈意見書(ファトワーfetva)〉を通じて,これを掣肘(せいちゆう)した。また,各地域の実情に応じた柔軟な統治を実現するために,シャリーアの枠内にとどまることを条件に,カーヌーン(世俗法)およびヤサyasa(禁令)が,スルタンの勅令あるいはシェイヒュル・イスラムの〈意見書〉の形態をとって発布された。…
…セルジューク朝は政府の任命する官職にしようとして失敗,オスマン帝国はイスタンブールのムフティーの職名とした(トルコ語でシェイヒュル・イスラムşeyhülislam)。ウラマーを統轄してカーディー(裁判官),ムフティーの任免権を握り,ファトワーfatwā(意見書)によってスルタンの国事行為を制約し,事実上シャリーア(イスラム法)施行の責任者となった。【嶋田 襄平】。…
…シャリーア法廷のカーディー(裁判官)は,重要あるいは困難な問題に判決を下すに当たってムフティーの意見を求め,後者は必ず文書で意見を提出する。これをファトワーといい,カーディーはそれに基づいて判決を下す。カーディーのほかマザーリム(行政)法廷,君主,個人もムフティーにファトワーを求めることができた。…
※「ファトワー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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