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フィウメ占領 フィウメせんりょう

世界大百科事典 第2版の解説

フィウメせんりょう【フィウメ占領】

第1次大戦後,フィウメFiume(ユーゴスラビアの都市リエカイタリア名)の併合を求めるイタリアの主張に発して,ダンヌンツィオの率いる義勇軍が同市を1年余にわたって占領した事件。フィウメはアドリア海の港市でハンガリーの支配下にあったが,戦後の1918年11月に連合国軍隊の共同管理下に置かれた。これより先,フィウメ民族評議会はイタリアとの合併を宣言しており,イタリア政府(オルランド内閣)も19年1月から始まったパリ講和会議でフィウメのイタリアへの帰属を要求した。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のフィウメ占領の言及

【ナショナリスト協会】より

…また戦争の遂行によって国家の統制力を強化しようとする内政上の目的も有していた。大戦後の講和会議でダルマツィア地域のイタリアへの帰属が否定されると,そこなわれた勝利に対する不満を表し,ダンヌンツィオのフィウメ占領に積極的に加わった。一方,戦後の社会主義勢力の台頭に対して青シャツの武装行動隊を組織して対抗したが,黒シャツのファシスト行動隊に比べて規模は小さかった。…

【リエカ】より

…15世紀オーストリアの支配下に入り,1717年自由港と宣言されたが,1867年オーストリアとハンガリー間のアウスグライヒ(妥協)によって直接ハンガリーが管理することになった。第1次大戦後はリエカの領有をめぐってイタリアとユーゴスラビアが対立し,1919年義勇兵を率いたイタリアの詩人ダンヌンツィオが占領(フィウメ占領),20年に一時自由市とされたが,24年イタリア領となった。第2次大戦後ユーゴスラビアに復帰した。…

※「フィウメ占領」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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