フランス最古の代表的保守系紙。パリ発行の朝刊紙。1854年、当時の大ジャーナリスト、ビルメサンHippolyte de Villemessant(1810―1879)が創刊。1866年日刊となる。エミール・ゾラ、ゴンクール兄弟、デュマ(子)ら一流の文人を起用して文芸紙としての名声を博す一方、ドレフュス事件ではドレフュス大尉を擁護してフランス陸軍と対決して勝利、19世紀末から20世紀初頭にかけて一流政治報道紙の地位を確保した。第二次世界大戦中の1942年、反ナチスの名編集者ピエール・ブリソンPierre Brisson(1896―1964)がビシー政権の検閲に抗議して自発的に停刊したが、1944年8月パリ解放の前日に復刊。戦後はブリソン理事長の下で資本と経営の分離に成功、1969年には発行部数53万を数えて黄金時代を迎えた。ブリソンの死後、経営がしだいに悪化、1975年には右翼の新聞王ロベール・エルサンRobert Hersant(1920―1996)が買収。1977年には政治部長兼評論家のレイモン・アロンRaymond Aron(1905―1983)が退社するなど経営、編集が対立、退潮期を迎えた。2004年フランスの兵器産業大手であるダッソー・グループが買収した。2010年の発行部数は約33万部。
[伊藤力司]
フランスの代表的新聞。1825年に創刊されたが,すぐに廃刊になったので,54年4月2日のビルメサンH.C.de Villemessant(1812-79)による復刊が事実上の創刊である。66年日刊に移行した。ほぼ一貫して保守派に属し,文壇や社交界の記事が評判を呼んだ。1920年代には香水王F.コティが所有したこともある。第2次世界大戦中のドイツ占領期にはリヨンに逃れて細々と発行していたが,42年11月ナチスへの抵抗の意思表示として自主的に停刊した。したがって戦後は戦争責任を問われることなく復刊できた。60年代にはJ.プルーボストの所有になっていたが,75年6月に地方新聞グループの所有者エルサンRobert Hersantが買収した。96年現在の発行部数は約38万部。
執筆者:稲葉 三千男
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フランス最大の日刊新聞。1854年創刊。66年日刊となり政治報道紙として確立。第三共和政下,保守的またはカトリック的傾向をとる。第二次世界大戦中の反ドイツ的態度は戦後の飛躍的な発展を可能とした。フランソワ・モーリャック,ジョルジュ・デュアメルらの筆になる文化記事がこの発展を支えた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…20歳のときに結婚するが,完全な失敗に終わり,ジャーナリストとしての道に専念。フィガロの筆名で政治,社会,風俗,演劇に対してしんらつな批評を展開。非常な好評を博し,代議士も務めた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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