モーリヤック(François Mauriac)
もーりやっく
François Mauriac
(1885―1970)
20世紀フランスの小説家。10月11日、ボルドーの資産家に生まれる。早くに父親と死別、信仰心の篤(あつ)い母親と修道会系学校の両面からカトリック的感性と鋭敏な良心を養われた。ボルドー大学卒業後パリで詩集『合掌』(1909)によって出発したが、独自の才能は小説において開花し、36歳の『癩(らい)者への接吻(せっぷん)』(1922)によって文壇での地位を確立した。以来『火の河』『ジェニトリクス』(ともに1923)、『愛の砂漠』(1925)と一作ごとに世評を高め、代表作『テレーズ・デスケルー』(1927)を生む。
作品はいずれもボルドー市とその周辺ランド地方の地主階級の家庭に題材をとり、一見平穏な日常の陰に満たされぬ渇きを抱く人々が、愛を求めてその不毛に傷つき、生の充足を希求してはその望みを断たれ、あるいは情念の発酵に自ら罪の匂(にお)いを嗅(か)ぎ付けて絶望するなど、いわゆる「神なき人間の悲惨」のドラマを、官能的な熱を帯びた独得の文体で描き出している。
そののち信仰と小説制作の矛盾を克服して円熟期を迎え、『蝮(まむし)のからみあい』(1932)、『夜の終り』(1935)、『黒い天使』(1936)、『海への道』(1939)、『パリサイの女』(1941)など、錯綜(さくそう)する人間関係の描出に作品の幅を広げた。1933年アカデミー・フランセーズ会員となる。エッセイ『小説家と作中人物』(1933)、伝記『イエスの生涯』(1936)などもある。社会参加(アンガージュマン)もこの時期に始まり、スペイン戦争では反フランコ側につき、第二次世界大戦中は対独抵抗運動に加わる。占領下の日記『黒い手帖(てちょう)』(1943)はフォレForezの偽名による秘密出版。
戦後、劇作に手を染めるが、『愛されぬ人々』(1945)以外は不評に終わった。小説に『汚(きたな)らしい子』(1951)、『ガリガイ』(1952)、『子羊』(1954)などがあり、1952年ノーベル文学賞を受賞。ただし創作欲の衰えは否めない。サルトルの批判『フランソア・モーリヤック氏と自由』(1939)の影響ともみられる。むしろジャーナリズムがおもな活躍の場となり、深い人間洞察を伴う率直な時局発言が『フィガロ』紙をはじめとする新聞・雑誌の論説欄を飾り、のちに『ブロック・ノート』(1958)などにまとめられた。84歳で長編『昔の青年』(1969)を発表、翌70年9月1日パリで没。没後2年にして遺稿『マルタベルヌ』(未完)が刊行された。
[中島公子]
『遠藤周作編『モーリヤック著作集』全6冊(1982~84・春秋社)』▽『中島昭和解説『世界文学全集75 モーリヤック・モンテルラン集』(1979・集英社)』
モーリヤック(Claude Mauriac)
もーりやっく
Claude Mauriac
(1914―1996)
フランスの小説家、批評家。フランソア・モーリヤックの長男。文芸評論家として登場し、映画批評の分野でも活躍。鋭い感受性と理解力に富み、前衛文学の好意的案内者であった。小説『あらゆる女は妖婦(ようふ)である』Toutes les femmes sont fatales(1957)をはじめ、『晩餐会(ばんさんかい)』(1959)、『侯爵夫人は5時に外出した』(1961)、『忘却』(1966)などのほか、1974年以降刊行を続け全10巻に達した日記のモンタージュ『動かない時間』Le Temps immobile(1974~1988)が時代証言として貴重である。なお、クロード・モーリヤック夫人はマルセル・プルーストの弟ロベールの孫娘にあたり、プルーストの血筋は今モーリヤック家に受け継がれている。
[岩崎 力]
『安東次男訳『あらゆる女は妖婦である』(集英社文庫)』▽『岩崎力訳『忘却』(1980・集英社)』▽『岩崎力訳『晩餐会』(1973・集英社)』
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モーリヤック
François Mauriac
生没年:1885-1970
フランスの作家。ボルドー生れ。処女詩集《合掌》(1909)でM.バレスに認められたが,以後,小説,戯曲,評論を執筆。小説《愛の砂漠》(1925),《テレーズ・デスケルー》(1927),《蝮のからみあい》(1932),《夜の終り》(1935),《パリサイ女》(1941),戯曲《アスモデ》(1937),《愛されぬ人びと》(1945)などは,ほとんどボルドーとその近郊ランド地方のブルジョア家庭を舞台に,愛と憎しみの葛藤を回想形式と内的独白の手法を織りまぜながら描いたものである。《小説論》(1928),《神と黄金神》(1929)などの評論には,敬虔なカトリック信者としての顧慮と真実を描くべき小説家の使命との二律背反が語られているが,作中人物は大部分罪の世界に沈淪し,悪の力にあるいは抗(あらが)い,あるいは屈服している。それを恩寵の世界の陰画として示し,純粋さへの郷愁を読み取らせる意図を,前記の評論や《ラシーヌ伝》(1928)が物語る。第2次大戦中レジスタンスに参加,《黒い手帖》(1943)を刊行。戦後はカトリック的ヒューマニズムを基盤に《フィガロ》紙,《エクスプレス》紙などに文芸・政治評論を発表。《ブロック・ノート》(1958,61)は日記形式の評論集である。ド・ゴールに心酔し,アルジェリアの独立政策を支持した。ほかに精神的自叙伝として《日記》(1934,37,40)や《内面の記録》正・続(1959,65)。伝記に《イエスの生涯》(1936)などがある。1933年アカデミー・フランセーズ会員となる。52年ノーベル文学賞受賞。
執筆者:渡辺 義愛
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
モーリヤック
Mauriac, François
[生]1885.10.11. ボルドー
[没]1970.9.1. パリ
フランスの作家。カトリックの家庭に育ち,ボルドー大学に学んだのち,1906年パリに出,文学活動を開始。詩集『合掌』 Les Mains jointes (1909) によって,M.バレスに認められたが,『鎖につながれた子供』L'Enfant chargé de chaînes (13) で小説に転じ,『癩者への接吻』 Le Baiser au lépreux (22) によって文壇的地位を確立。故郷ランド地方のブルジョア家庭に題材を取り,人間の罪を鋭く描き出す作風で,『愛の砂漠』 Le Désert de l'amour (25) ,『テレーズ・デスケイルー』 Thérèse Desqueyroux (27) ,『まむしのからみ合い』 Le Nœud de vipères (32) などの重厚な傑作を生んだ。また,スペイン共和派の支持,レジスタンス運動などで政治的にも活躍,評論『黒い手帖』 Le Cahier noir (43) を地下出版,カトリック世代の良心と呼ばれた。ほかに,戯曲『アスモデ』 Asmodée (37) ,評論『小説家と作中人物』 Le Romancier et ses personnages (33) ,『イエスの生涯』 Vie de Jésus (36) ,『日記』 Journal (5巻,34~50) ,『内面の記録』 Mémoires intérieures (59,65) などがある。アカデミー・フランセーズ会員 (33) 。 52年ノーベル文学賞受賞。
モーリヤック
Mauriac, Claude
[生]1914.4.25. パリ
[没]1996.3.22. パリ
フランスの小説家,批評家,劇作家。 F.モーリヤックの息子。 1938年以来コクトー,ブルトン,マルローらを論じる批評家として出発し,のち『フィガロ・リテレール』誌などで映画評論も手がける。 57年から「内的対話」 Le Dialogue intérieurの総題のもとに,ヌーボー・ロマン風の新しい技法を探究する小説を発表。主要作品は『女はみな妖婦』 Toutes les femmes sont fatales (1957) ,『街での晩餐』 Le Dîner en ville (59) ,『侯爵夫人は五時に出かけた』 La Marquise sortit à cinq heures (61) ,『引伸ばし』L'Agrandissement (63) など。ほかに,評論集『現代の反文学』L'Alittérature contemporaine (58) ,戯曲『会話』 La Conversation (64) ,日記と現時点での注記とを複雑に交えた『不動の時』 Le Temps immobile (10巻,74~88) などがある。
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「モーリヤック」の意味・わかりやすい解説
モーリヤック
フランスの作家。ボルドー生れ。詩人として出発したが,小説《癩者への接吻》(1922年)で注目され,《愛の砂漠》《テレーズ・デスケルー》で名声を確立,以後《蝮(まむし)のからみ合い》《パリサイ女》等で人間の心に潜む罪の意識をカトリックの立場で鋭くえぐる。評論《小説論》《小説家と作中人物》も重要。1952年ノーベル文学賞。
→関連項目ソレルス|レジスタンス文学
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モーリャック
François Mauriac
1885~1970
現代フランスの代表的カトリック作家。『愛の砂漠』『テレーズ・ディケルー』など優れた心理小説を発表し,1952年ノーベル文学賞を受けた。レジスタンス運動にも参加し,社会的発言も活発。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
世界大百科事典(旧版)内のモーリヤックの言及
【反ファシズム】より
…日本の《土曜日》の名称はこれにならった)以下おびただしい数の週刊誌が,主としてフランスで作家や知識人の手で創刊されだすのも,この時期にほかならない。このほか,従来右翼作家とみなされてきたモーリヤック,ベルナノスらがスペイン内乱の現実を目にして反ファシズムの陣営に加わったことも記しておこう。とはいえ,36年末刊行のジッドの《ソビエト旅行記》,そのころからしだいに西欧に広がりだしたソ連の粛清裁判への疑惑,さらに37年5月のスペイン共和政府内における共産党によるアナーキスト,トロツキストの粛清といった一連の事実が,共和政府側に不利に展開しだした戦局とともに,反ファシズム戦線に亀裂を生じさせていったことは否定できない。…
※「モーリヤック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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