フッカー(英語表記)Hooker, Joseph

  • Hooker, Richard
  • Hooker, Thomas
  • Joseph Dalton Hooker
  • Richard Hooker
  • hooker

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

[生]1814.11.13. マサチューセッツハドリー
[没]1879.10.31. ニューヨーク,ガーデンシティー
アメリカ南北戦争期の軍人,北軍将軍。初め志願兵を率いて東部戦線で活躍,「ファイティング・ジョー」と呼ばれた。ポトマック軍団司令官に昇進したが,チャンセラーズビルで敗北 (1863.5.) 。戦争後半はテネシージョージアで戦ったが,上層部に軽んじられ,軍隊を去った (68) 。
[生]1586. レスターシャー,マークフィールド
[没]1647.7.7. コネティカット,ハートフォード
アメリカの会衆派牧師。ハートフォードの建設者。「アメリカ民主主義の父」と称される。イギリスでの布教で弾圧され,1633年マサチューセッツ湾植民地に移住したが,そこでも会衆派教会長老と教義上衝突し,信者を率いて西方に移住し,ハートフォードに定住。制限選挙制を批判し,39年コネティカット基本法制定に寄与した。主著"A Survey of the Summe of Church Discipline" (1648) 。
[生]1553/1554. デボン,エクセター付近
[没]1600.11.2. ケント,カンタベリー近郊ビショップスボーン
イギリスの法学者,聖職者。主著『教会政治理法論』 Of the Laws of Ecclesiastical Polity (1594~1600) 。これは主としてカルバン派に対するイギリス国教会の護教書であり,そのなかでフッカーは,国教会制度をトマス・アクィナス的自然法論で弁証するとともに,教会と国家の一体性の主張,抵抗権の否定,国教会制度の枠内における宗教的寛容擁護によって,カルバン派に対抗している。

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百科事典マイペディアの解説

米国のブルース歌手,ギター奏者,作曲家。幼いころにブラインド・レモン・ジェファーソンBlind Lemon Jefferson〔1897-1929〕やチャーリー・パットンCharlie Patton〔1887-1934〕といった初期の重要なブルースマンと接し,デルタ・ブルースの影響を強く受けた。1949年に発表したデビュー曲《ブギー・チレンBoogie Chillun》によって脚光を浴び,その後も数々のヒット曲を送り出した。代表作に《アイム・イン・ザ・ムードI'm In The Mood》《ブーン・ブーンBoom Boom》などがある。時代の求める音楽への柔軟な姿勢は幅広い支持を獲得し,後にブルースやロックの多くのミュージシャンがこれに倣った。
英国の博物学者,植物分類学者。南極,北東アジア,モロッコ,北アメリカなどを探検し,各地の植物を調査。父W.J.フッカーの後をついでキュー植物園園長となり,研究施設としての名声確立。C.ダーウィンの友人として彼の進化論の発表のお膳立てをし,強力に支持した。著書に《南極植物誌》《ヒマラヤ紀行》や《植物の種》(G.ベンサムとの共著)。

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世界大百科事典 第2版の解説

1817‐1911
イギリスの植物学者。父は植物学者W.J.フッカー(1785‐1865)で,その大きな影響をうけた。グラスゴー大学で医学の学位を取得。ロスJ.C.Rossの南極探検に,軍医補兼博物学者として参加する(1839‐43)。その探検の植物報告書をまとめ,《南極植物誌》(1844‐47)などを公刊する。ついで,北東インドを探検(1847‐51)。その見聞を,一般向けに著したのが《ヒマラヤ紀行》(1854)であり,紀行文学,ヒマラヤ研究の古典として知られる。
1554ころ‐1600
英国国教会の聖職者,神学者。オックスフォードで学び,1585年ロンドンのテンプル教会の主任司祭に就任ピューリタンのトラバースWalter Traversとの論争から生まれた《教会政治理法論》(1594)で,ピューリタンの聖書主義を批判し,英国国教会が神の法にも理性の法にももとらず,聖書と初代教会以来の伝統に基づいた教えであることを証した。その契約の理念はのちのロックに影響を及ぼし,そのすぐれた文章は16世紀イギリス文学の傑作に数えられている。

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大辞林 第三版の解説

ラグビーで、スクラム第一列の真ん中の選手。スクラムでボールをかき出す役目。

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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙 (hooker) ラグビーで、フォワード最前列中央のプレーヤー。スクラムの際、足を鉤のように曲げてボールを味方の方にかき出す役目をもつ。

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世界大百科事典内のフッカーの言及

【隠花植物】より

…植物界の1/3として扱われていたわけである。19世紀に入るとフランスのブロニャールA.Brongniart(1843),イギリスのベンサムG.BenthamとフッカーJ.D.Hooker(1862),ドイツのアイヒラーA.W.Eichler(1883)らは植物界を顕花,隠花の二大植物群に分類した。彼らによれば植物界の1/2として隠花植物は扱われていたわけである。…

【キュー植物園】より

…ハーバリウムと図書館,有用植物博物館,ジョドレル研究所,植物園の4部門で構成されている。19世紀後半にフッカー父子W.J.& J.D.Hookerが引き続いて園長をしていた間に,《植物の属》《キュー植物目録》などの刊行が始まり,世界の各地から集められた生材料(植物園)と資料標本(ハーバリウム)に基づく植物学の研究機関として発展した。同時に,市民のための社会教育や憩いの場としても活用されている。…

【隠花植物】より

…植物界の1/3として扱われていたわけである。19世紀に入るとフランスのブロニャールA.Brongniart(1843),イギリスのベンサムG.BenthamとフッカーJ.D.Hooker(1862),ドイツのアイヒラーA.W.Eichler(1883)らは植物界を顕花,隠花の二大植物群に分類した。彼らによれば植物界の1/2として隠花植物は扱われていたわけである。…

【ヒマラヤ[山脈]】より

…1852年に世界の最高峰と確認されたエベレストの名が,1830‐43年に測量局長官を務めたG.エベレストにちなむ名であることはよく知られている。19世紀の半ばには,より学術的な探検を主として植物学者フッカーJoseph Dalton Hookerがシッキムを踏査(1848‐50),次いでドイツのシュラーギントワイト兄弟が西部ヒマラヤとカラコルムを広く踏査(1854‐57)し,ガルワールのアビ・ガミン(7355m)の6784mまで登高した。 ヒマラヤ登山を目的とした最初の人物はイギリスのW.W.グレアムで,1883年にアルプスのガイドを伴って,シッキムやガルワールなど各地の山を試登,現在のチャンガバン(6864m)に登ったと主張したが,これはヒマラヤ研究家たちによって否定されている。…

【アングリカン・チャーチ】より

…メアリー1世の時代に一時ローマ教会に復帰した英国国教会は,8年エリザベス1世の登位によって,ふたたびローマより独立した国民教会として確立した。エリザベスの教会・国家体制はローマ教会員とピューリタンによって厳しく批判されたが,16世紀末になるとフッカーが《教会政治理法論》(1594)を著し,神の法にも理性の法にももとらない英国国教会がその基礎を聖書と初代教会よりの伝統に置き,ローマにもジュネーブにも偏しない中道的立場に立つことを弁証した。安定したかに見えた国教会体制はスチュアート朝の登場によって危うくされ,1640年,絶対王政と結びついた主教制と祈禱書は廃止されたが,60年王政復古とともに再確立し,ピューリタンは信従を拒否して非国教徒となり,88年の名誉革命後は自由教会を形成した。…

【高教会】より

…イギリス宗教改革はドイツやスイスの宗教改革とは違った歩みをたどったが,神学的には初めルター,ついでツウィングリ,ブツァー,カルバンら大陸の宗教改革者の影響を強く受けつつその教義的立場を確立した。国教会として確立するエリザベス朝では,大陸の神学者,とくにカルバンの教会論,職制論が支配的であったが,16世紀末にはバンクロフトRichard Bancroft,フッカーらが英国国教会を普遍的(カトリック)教会の一つの枝として位置づけ,使徒継承に基づく主教制の必要を唱えた。17世紀に入るとアンドルーズLancelot Andrewes,ロードWilliam Laudらがピューリタンに対して教会のカトリック性を強調し,ロードがピューリタン革命で処刑されたこともあって,王政復古時には高教会派が主導権を得た。…

【ピューリタン】より

…ただし,ピューリタンの範囲を正確に定義するのは困難で,国教会からの非分離派のカルビニスト(後の長老派),分離派のカルビニスト(後の独立派),分離派の非カルビニスト(後の諸セクト)の三者を包含する用語とするのが通説である。 エリザベス時代は,エリザベスの巧みな行政とともに,教会政治的にはホットギフトJohn Whitgift,思想的にはR.フッカーの活動によって抑止され改革の目的が達成されず,かえってR.ブラウンらの過激なピューリタン(国教会からの分離派)を生み出した。エリザベスの死後ジェームズ1世が即位したとき,ピューリタン牧師たちは〈千人請願〉を提出し改革の推進を求めたが,《欽定訳聖書》作成の願望以外はすべて受けいれられず,国教会体制はさらにひきしめられて継続することとなり,不満なグループはオランダやニューイングランドに移住するようになった。…

※「フッカー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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