デトロイト(読み)でとろいと(英語表記)Detroit

翻訳|Detroit

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デトロイト」の意味・わかりやすい解説

デトロイト
でとろいと
Detroit

アメリカ合衆国、ミシガン州南東部の最大都市。人口95万1270、大都市圏人口545万6428(2000)。ミシガン州が成立した1837年から47年まで州都であった。市名は、1701年にフランス人キャデラックが毛皮取引の拠点とするためここに砦(とりで)を築き、後援者の名にちなんで命名したことによる。セント・クレア湖、エリー湖セント・ローレンス水路を結ぶデトロイト川に沿って位置し、水陸交通の要地であった。1817年、五大湖で最初の蒸気船がデトロイト―バッファロー間に就航し、1830年代には鉄道網の敷設が進んだため、穀物の集散や造船業などでにぎわった。また、同市は自動車産業のメッカとして有名である。1896年、チャールズ・キングが自作の自動車をデトロイトの街で走らせてから、デトロイトの新しい時代が始まった。同年、ランサム・イリー・オールズとヘンリーフォードの2人は、それぞれの小さな機械工場で、ガソリンを動力とする自動車を完成した。4年後にオールズは1400台もの自動車を売り、フォードは1903年に会社を創立、08年には史上最大の人気を得たT型フォードを完成し、27年までに1500万台を製造した。「モーター・シティ」の名をさらに不動のものとしたのは、1914年1月5日、フォード社が動くライン方式の工場を完成し、1日5ドルの賃金(当時の一般賃金の約2倍)を払うと発表し、翌日には1万人を超える労働者が押し寄せてからである。今日でも、自動車産業の主要企業であるゼネラル・モーターズ(GM)、フォードがデトロイト大都市圏内に本社を置いている。なお、クライスラーは1998年にドイツのダイムラー・ベンツと合併しダイムラー・クライスラーとなったが、現在もデトロイト大都市圏内にアメリカ本社を置く(登記上の本社はドイツのバーデン・ウュルテンベルク州シュトゥットガルト)。

 20世紀中ごろまで、デトロイトはアメリカの繁栄の象徴であったが、その後事態が変わる。1950年、人口は185万で全米第5位にあったが、70年代には第6位に下がり、80年の人口は120万に減少した。2000年の国勢調査では100万を切り、全米第10位である。また、第二次世界大戦後の景気後退によって、南部から多くの失業したアフリカ系アメリカ人が流入を続け、黒人人口は1960年には29%、70年には44%、80年には63%と急上昇し、73年にはアフリカ系アメリカ人のコールマン・ヤング市長に当選した。1967年には貧しいアフリカ系アメリカ人による人種暴動が起こり、43人が死亡、7000人が逮捕された。この事件以後、白人は郊外へ移り住み、さらにアフリカ系中産階級の流出も続き、市は合衆国最大のアフリカ系住民が暮らす都市となった。

 1973年のオイル・ショック以後の小型車ブームと、日本車など外国産輸入車の激増によって、1908年の創業以来、一度しか損失を出したことのなかったGM社ですら、80年には7億6300万ドルもの赤字を出し、ミシガン州の自動車生産は1978~80年の間に40%も減少した。失業率も急増し(82年夏には20.5%を記録)、市財政も破産に直面した。この間、市長ヤングは、この危機的状況を打開するため、いくつかの再建政策を進めた。その一つは再開発事業で、1977年には3億5000万ドルを投じたルネサンス・センター(レンセン)が完成し、73階建てホテルを含む高層建築が都心の景観を一変させた。また経済再建のために、クライスラー社とGM社の新工場に公的資金を拠出する一方、81年には4000人の市職員を削減し、税制を改革するなど思いきった施策を展開した結果、82年からようやく市は財政破綻(はたん)から脱出する方向をみいだした。

 市はミシガン州の金融、教育、文化の中心としても伝統があり、ウェイン州立大学は水準の高い大学として知られ、近くにはデトロイト美術館、歴史博物館がある。郊外のディアボーンはフォード本社の所在地であり、フォード博物館と歴史的建築群が並ぶグリーンフィールド・ビレッジが併設されており、訪れる観光客も多い。

[伊藤達雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デトロイト」の意味・わかりやすい解説

デトロイト
Detroit

アメリカ合衆国,ミシガン州南東部の工業都市。シカゴの北東約 400kmに位置する。1701年フランス人が毛皮取引を広めるために入植。1760年イギリスに占領され,1783年合衆国領となった。1805年ミシガンテリトリーの首都となったが,火事で全焼。その後ウッドワード知事により六角形を基礎とした復興計画が立てられ,今日もその名残りが市の中心部に見られる。1837年から 1847年までミシガン州の州都。蒸気船の航行,水路や鉄道の開通により,商業取引および製粉業の中心地として繁栄し,造船,鉄鋼,鋳造,機関車,靴,車輪などの製造業も始まった。19世紀末,ヘンリー・フォードによって自動車工場が設立され,流れ作業方式や最低賃金制の導入によって急速に発展。デトロイトはその中心都市になり,ゼネラル・モーターズクライスラーなどの大工場も立地して世界最大の自動車工業都市となった。工業の発展により多数の黒人労働者が流入し,1943,1967年に人種問題による暴動が起こった。1980年代初頭から日本製自動車のアメリカ進出などにより自動車生産が低迷し,多数の失業者を生んだ。都市再生をはかったが,経済的に苦しい状態が続き,2013年7月アメリカ合衆国連邦破産法第9条の適用を申請,財政破綻した。自動車工業のほかに機械類,コンピュータ,鋳物,塗料,重化学製品,印刷,家庭電気器具などの工場が立地する。外国貿易港としても重要な位置を占め,国際空港もある。大学,図書館,美術館,大規模なコンベンション施設であるルネサンスセンター,デトロイト管弦楽団,ベル島公園など,文化・教育・娯楽施設も多い。人口 71万3777(2010)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報