日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハクスリー」の意味・わかりやすい解説
ハクスリー(Aldous Huxley)
はくすりー
Aldous Huxley
(1894―1963)
イギリスの小説家、批評家。祖父トマスは進化論のために闘った生物学者、兄ジュリアンは動物学者でユネスコの事務局長も務めた国際的著名人、異母弟アンドリューはノーベル医学生理学賞をもらった生理学者というような知的名門の出である。7月26日、南イギリス、サリー州のゴダルミングで生まれる。イートン校在学中に角膜炎にかかって失明状態になり、そのために医学の志望を放棄した。オックスフォード大学卒業後、1916年象徴派の影響の濃い詩集『火の車』を出し、以降も数冊の詩集を出版したが、21年に風刺小説『クローム・イェロー』を書いて第一次世界大戦後のイギリス戦後派の代表的な小説家となった。これ以降、冷徹な知性で人間の理性と本能との分裂を喜劇的に描くのが彼の一貫した特徴となる。次の小説『道化踊り』(1923)は、生存の目的を失って生の倦怠(けんたい)に悩む20年代の知識人や有閑マダムを風刺的に描いた作品。
1923年イタリアに移住、30年まで滞在して創作活動に従い、この間D・H・ローレンスと親交を結んだ。28年に発表した『恋愛対位法』は、音楽の対位法を小説に導入した実験的小説で彼の代表作である。32年の『見事な新世界』は、人間は全部人工授精で製造されるという未来社会を描いて統制国家、管理社会の恐ろしさをユーモラスに風刺したもので、逆(アンチ)ユートピア小説の傑作として知られる。38年、眼疾の治療のために赴いたアメリカのカリフォルニアに定住。半自伝的小説『ガザに盲(めし)いて』(1936)以後は神秘主義に著しい関心を示しだし、あらゆる聖者が到達した「無執着(ノン・アタツチメント)」という境地において個人と全宇宙は統一されるという信念を抱いたようである。作品にはほかに長編『くだらぬ本』(1925)、架空小説『猿と本質』(1946)、エッセイ『永遠の哲学』(1946)、『ガザに盲いて』の主題を詳述した評論『目的と手段』(1937)や旅行記その他がある。63年11月22日、ケネディ大統領が暗殺された同じ日に喉頭癌(こうとうがん)のためハリウッドの自宅で没した。
[瀬尾 裕]
『高畠文夫訳『すばらしい新世界』(角川文庫)』▽『上田勤編著『ハックスレイ研究』(1954・英宝社)』▽『成田成寿編『20世紀英米文学案内17 ハックスリー』(1967・研究社出版)』
ハクスリー(Thomas Henry Huxley)
はくすりー
Thomas Henry Huxley
(1825―1895)
イギリスの動物学者。ロンドンで医学を修めたが、もともと物理学に関心があったために、生体機能の物理・化学的側面を扱う生理学に興味をもった。生計をたてるために海軍の軍医となり、ラトルスネーク号でオーストラリア方面に航海し(1846~1850)、とくにクダクラゲ類について優れた研究を行った。帰国後、王立鉱山学校教授となり、化石の研究や生理学、比較解剖学に従事。王立学会員となり、1883年から同会長を務めた。腔腸(こうちょう)動物の内・外胚葉(はいよう)が、高等動物の内・外胚葉と相同であることを示し、またオーケンLorenz Oken(1779―1851)、ゲーテらの、頭骨は脊椎(せきつい)骨の変形したものであるとする「頭骨脊椎骨説」の誤りを正した。C・R・ダーウィンとは、航海から帰国後まもなく知己となり、終生親交を結んだ。ダーウィンの『種の起原』(1859)が出版されるやただちにダーウィン説に賛同し、ダーウィン自身にかわってこの説の普及者となることを決意し、「ダーウィンのブルドッグ」とよばれた。とくに、1860年のイギリス学術協会において、ダーウィン説の反対論者であったウィルバーフォースSamuel Wilberforce(1805―1873)司教を論破したことは、その後の進化論の受容に大きな影響を与えた。しかしハクスリーは、ダーウィン説を無批判に受け入れたわけではなく、その欠陥も鋭く指摘し、またダーウィンが避けた人間の起源の問題にも言及した。主著に『自然における人間の位置』(1863)、『進化と倫理』(1893)などがある。
[八杉貞雄]
『T・ハクスリ著、佐伯正一他訳『自由教育・科学教育』(1966・明治図書出版)』
ハクスリー(Andrew Fielding Huxley)
はくすりー
Andrew Fielding Huxley
(1917―2012)
イギリスの生理学者。ロンドンに生まれる。祖父は著名な動物学者トーマス・ハクスリーで、異母兄に動物学者のジュリアン・ハクスリーと小説家のオルダス・ハクスリーがいる。ケンブリッジ大学で物理学、化学、数学を学び、のちに生理学を専攻した。第二次世界大戦中は軍事研究に従事したが、終戦後の1946年にケンブリッジ大学に戻り、生理学の講義と研究を続けた。1960年にロンドン大学の生理学主任教授となり、1969年には王立協会研究所の教授を兼任した。
ケンブリッジ大学で、A・L・ホジキンとともに、イカの巨大軸索を用いて、神経線維の興奮伝導に伴うイオンの移動を研究、細胞膜のイオン透過性の変化に注目し、ナトリウムイオンの変化が神経線維の興奮とその伝達に重要な役割を果たしているという説を確定した。そのため、1963年に「神経細胞の膜の興奮と抑制のイオン機能に関する発見」という受賞理由でノーベル医学生理学賞を受けた。共同研究者のホジキンおよび同様の研究をしていたエックルズとの同時受賞であった。
[編集部]
ハクスリー(Sir Julian Sorell Huxley)
はくすりー
Sir Julian Sorell Huxley
(1887―1975)
イギリスの動物学者。T・H・ハクスリーの孫。オックスフォード大学卒業後、アメリカでイネの研究所に勤務。帰国後ロンドン大学教授(1925)、王立科学研究所教授(1926~1929)、ロンドン動物園長(1935~1942)、ユネスコ事務局長(1946~1948)などを歴任。生物学者としては主として、鳥類の行動学・遺伝学・相対成長に関する研究などを行い、また多くの科学啓蒙(けいもう)書を著した。1958年にナイトの爵位を与えられた。主著に『進化とは何か』(1953)などがある。
[八杉貞雄]
『太田芳三郎訳『ジュリアン・ハックスリー自伝』全2冊(1973・みすず書房)』▽『長野敬・鈴木善次訳『進化とはなにか――20億年の謎を探る』(講談社・ブルーバックス)』