フーヘル(英語表記)Peter Huchel

改訂新版 世界大百科事典 「フーヘル」の意味・わかりやすい解説

フーヘル
Peter Huchel
生没年:1903-81

ドイツ詩人ベルリン郊外に生まれ,少年期を農村で過ごす。文学,哲学等を修めたのち,フランス,トルコ等を放浪。1925年から詩人として自立するが,ナチス政権下では非政治的放送劇のみを発表。従軍捕虜生活を経て帰還後,東ベルリン放送の演劇主任,49年には東ドイツの代表的文芸誌《意味と形式Sinn und Form》の編集長となり,また《詩集》(1948)により国家賞を受賞。しかし,広い視野に立つ彼の編集方針や論評が〈非マルクス主義的ブルジョア的折衷イデオロギー〉と批判されて,62年辞職。西側から多くの文芸賞が贈られるなかで,監視下での沈黙の時代に入る。71年には西ドイツ移住した。詩集《国道,国道》(1963),《算えられた日々》(1972)等も西ドイツで発行された。故郷の自然をテーマとする作品が多いが,それらは人間のおかれている隷属状態への憤りと悲しみの表現の手段ともいえる。生涯トラークルを愛読した彼の作品は,自然詩と政治詩を止揚した〈実存的〉次元にあると評される。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フーヘル」の意味・わかりやすい解説

フーヘル
ふーへる
Peter Huchel
(1903―1981)

ドイツの詩人。少年期をベルリン近郊農村で過ごし、その風土農民についての原体験をもとに、寡作だが優れた自然詩を書く。1940年従軍、45年ソ連で捕虜。49年の東西ドイツ分裂以降14年間、東ドイツの雑誌『ジン・ウント・フォルム』(意味と形式)の編集主幹として、東西両ドイツの体制を超えた伝統文化を探求したが、この理想が結局いれられず故郷に隠棲(いんせい)。71年ついに西側へ亡命した。『大通り、大通り』(1963)を含めた4冊の詩集にも苦渋の影が濃い。

[飛鷹 節]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フーヘル」の意味・わかりやすい解説

フーヘル
Huchel, Peter

[生]1903.4.3. ベルリン
[没]1981.4.30. シュタウフェン
ドイツの詩人,ジャーナリスト。 1946~48年,東ベルリン放送局芸術指導員。 48~62年,『ジン・ウント・フォルム』誌の編集者。『少年の池』 Der Knabenteich (1932) などの詩集のほか,ラジオドラマ多数。 72年西ドイツに移住するまで8年間執筆活動を禁止された。

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百科事典マイペディア 「フーヘル」の意味・わかりやすい解説

フーヘル

ドイツの詩人。1949年―1962年東ドイツの文学誌《意味と形式》の編集者。寡作だが,すぐれた自然抒情詩の作者で,旧西ドイツにも熱心な愛読者をもった。1971年西ドイツに移住。

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