日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブラジルの古代文化」の意味・わかりやすい解説
ブラジルの古代文化
ぶらじるのこだいぶんか
ブラジルの古代文化は、東部ブラジルとアマゾニアの二つの地域に分けて考察することができる。
[増田義郎]
東部ブラジル
東部ブラジルとは、北のマラニョン州から南端のリオ・グランデ・ド・スール州に至る地域であり、西の限界は、ブラジル高原の東斜面とだいたい一致する。ブラジル高原は平均高度600メートルで、北部は熱帯性の気候であるが、南に行くほど暑さは緩和され、雨量もアマゾニアほど多くない。16世紀にポルトガル人が到着したとき、この地域の海岸に近い地方にはトゥピ語族のトゥピナンバ、グァラニなどの諸族が住み、内陸地方には、大ジェ語族のカヤポ、ティンビラ、カラジャ、ボロロの諸族が住んでいた。海岸に接した高原の一部にも大ジェ語族に属する人々がいた。
東部ブラジル高原では、紀元前9000~前8000年にさかのぼる古い石器文化の伝統があった。石や骨でつくったポイントが多数出土するが、一部の地域では磨製石斧(せきふ)もみつかっている。南アメリカ全体に存在した古い狩猟民文化の伝統に属するものであろう。また、東部ブラジルの南海岸地方一帯には、サンバキとよばれる貝塚が多数みつかっており、有機遺物から得られた放射性炭素の測定による年代は、前3000~前1500年の間に分布して、古い無土器漁労民文化が存在したことを示している。バイア州の貝塚から出土するペリペリ型式の土器は、東部ブラジルにおける最古の土器であり、サンバキ文化の北方に、それとは異なった文化があったことを暗示している。
ペリペリ土器に関連した絶対年代は前880年だが、東部ブラジルの土器、たとえばリオ・グランデ・ド・スール州で出土するビエイラ、タカラ、カサ・デ・ペエドラ、イタラレーなどの土器は、いずれも紀元後500年以後のものである。
[増田義郎]
アマゾニア
アマゾン川流域の広い地方の各地からは、アンデス高地やその東斜面の土器文化と関連があると推定されるさまざまな土器型式が発見されている。アマゾン支流のウカヤリ川流域(ペルー領)のヤリナコチャから出土する初期トゥティシュカイニョ、シャキム、アマゾン支流ナポ川流域のヤスニー、ティバクンド、アマゾン河口のマラジョ島から出土するアナナトゥバなどの土器型式は、いずれも刻線区画内に交差する線を描く装飾技法において共通点があり、前2000年紀から前1000年紀に存在した熱帯降雨林農耕民の文化に属すると考えられている。
紀元後1000年紀になると、口縁部に刻文を施した土器が各地に現れ、紀元後1000年以後には、アマゾン川上流、中流、下流にわたって、白地に黒、赤色の彩色土器の製作が始まる。刻点と刻線を施したサンタレン型式の土器は、複雑な動物や人像の像型を伴う特異なスタイルをもつが、紀元後1500年より以降のものと考えられている。
以上の諸型式の土器は、すべてアマゾニアの熱帯林根菜(マニオク)農耕民がつくったものであり、その地方に住んでいたいくつかの語族と関係づけられる。たとえば、サンタレン土器は、アマゾニア北方から小アンティル諸島に広がっていたカリブ語族の土器伝統と関係があり、ブラジル南部からチャコ地方にかけて広がった彩文土器の様式は、トゥピ・グァラニ人と関係がある。アマゾニアのトゥピ、アラワクなどの諸民族は、中央アンデスのような神殿文化をつくらなかった。
[増田義郎]