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ブランクーシ ブランクーシ Brancusi, Constantin

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブランクーシ
ブランクーシ
Brancusi, Constantin

[生]1876.2.21. ホビツァ
[没]1957.3.16. パリ
ルーマニア生れの彫刻家。死の直前フランスに帰化。農家の生れで少年時代から木彫にすぐれ,クライオバの美術工芸学校に進み,のち奨学金を得てブカレスト美術学校に学ぶ。 1904年パリのエコール・デ・ボザールに入学。

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デジタル大辞泉の解説

ブランクーシ(Constantin Brancusi)

[1876~1957]ルーマニアの彫刻家。パリに定住。事物の本質、根源的生命力を追求することで極度に単純な抽象形態に到達。現代彫刻に多大な影響を与えた。作「空間の中の鳥」など。

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百科事典マイペディアの解説

ブランクーシ

ルーマニア出身の彫刻家。オルテニア地方のホビツァ村生れ。1904年パリに出,エコール・デ・ボザール(国立美術学校)に学んだが,やがてロダンの影響を受けた。1906年には作品がロダンに激賞されたが,やがて写実的方法から離れ卵形などのきわめて単一で純粋なフォルムに到達し,ロダン以後の最も重要な近代彫刻家の一人となった。
→関連項目グッゲンハイム美術館スタイケン彫刻の森美術館ノグチマン・レイムーアモディリアニ

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世界大百科事典 第2版の解説

ブランクーシ【Constantin Brancusi】

1876‐1957
ルーマニア出身の彫刻家。没する前年にフランス国籍を得た。オルテニア地方のホビツァ村生れ。ブカレストの美術学校で彫刻を学んだのち,1904年パリへ出てエコール・デ・ボザール(美術学校)に通う。ロダンを理想とし,06年にロダンに作品が激賞されたが,やがてロダン離れして写実的な手法を捨て,ルーマニアの中世の石彫りや農民の木彫りなどを手がかりにしながら,形態の単純化を目ざした。同一モティーフの作品を連作として制作したことで知られ,なかでも《接吻》《空間の鳥》などの連作を残した。

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大辞林 第三版の解説

ブランクーシ【Constantin Brâncuşi】

1876~1957) ルーマニアの彫刻家。パリで活躍。材質を生かし形を単純化し抽象化することによって固有の生命力を表現した。現代抽象彫刻の先駆とされる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブランクーシ
ぶらんくーし
Constantin Brancusi
(1876―1957)

ルーマニアの彫刻家。トランシルバニア山脈の丘陵地帯にある農村ホビツァに生まれる。11歳のとき家を出て各地を放浪。1895年にクライオバの美術工芸学校に入学、さらに98年から3年間ブカレストの美術学校で彫刻を学ぶ。やがて故国を去り、1904年パリにたどり着く。翌年エコール・デ・ボザールに入学、アントナン・メルシエのアトリエで学ぶが、作品にはロダンの影響が顕著であった。06年と07年にはソシエテ・ナシオナル・デ・ボザールのサロンに出品、ロダンの注目するところとなり、助手になるよう求められたが、「大木の下ではなにも育たない」といって断ったという。こうしたロダンの影響もしだいに影を潜め、07年から08年ころには単純で調和のとれた原初的なフォルムの追求へと歩を進めていった。『接吻(せっぷん)』では石の直彫(じかぼ)りによって、石本来の量塊性と、主題が要求するフォルムとの間に完璧(かんぺき)な融合を達成。また人間の首だけを横たえた単純で静謐(せいひつ)なフォルムの『眠れるミューズ』は、しだいに凝縮され、『プロメテウス』などを経て、ついには完全な卵型となり、20年代の『世界のはじまり』となる。13年にはニューヨークでのアーモリー・ショーに5点の作品を送り、以来アメリカで高い評価を得る。また14年ころから木彫を手がけるが、それらは、入念に磨き込まれた大理石やブロンズの作品とは趣(おもむき)をやや異にし、原始芸術のもつ根源的な生命力を示している。徹底的な単純化により、素材の生命を最大限に引き出しつつ有機的な形態を造形した彼の作品は、前衛彫刻の展開に大きな足跡を残した。パリで没後、彼のアトリエはそっくりパリ国立近代美術館に遺贈された。[大森達次]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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