ノグチ(その他表記)Isamu Noguchi

改訂新版 世界大百科事典 「ノグチ」の意味・わかりやすい解説

ノグチ
Isamu Noguchi
生没年:1904-88

彫刻家。〈イサム・ノグチ〉と呼ばれることも多い。アメリカのロサンゼルスに生まれる。父は詩人野口米次郎,母はアメリカ人小説家レオーニ・ギルモア。1906-18年日本で過ごした。彫刻を志してボーグラム師事し,一時医学を学んだこともあるが,27年グッゲンハイム奨学金を得てパリに渡り,ブランクーシ助手を2年つとめ,A.コールダージャコメッティと知りあった。29年ニューヨークへ帰り,北京,日本,ロンドンメキシコなどを巡歴し,京都で陶芸を学んだ。38年AP通信ビルのレリーフコンペで1等賞,以来受賞を重ね,46年ニューヨーク近代美術館の〈14人のアメリカ人展〉に選ばれる。68年のホイットニー美術館の回顧展をはじめ,アメリカ,ヨーロッパ各地で数多くの個展を開いた。彫刻ばかりでなくランプ,家具,庭園の設計など幅広く活躍し,パリのユネスコ本部の庭園が有名である。52年以後アメリカと日本を頻繁に往復し,四国にアトリエをもった。アメリカ芸術アカデミー会員。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ノグチ」の意味・わかりやすい解説

ノグチ
Noguchi, Isamu

[生]1904.11.17. カリフォルニア,ロサンゼルス
[没]1988.12.30. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の彫刻家。詩人野口米次郎とアメリカ人の作家との間に生まれた。幼時を日本で過ごし,1918年単身渡米。20歳のとき彫刻家を志した。一時医学を学んだが彫刻に戻り,ニューヨークで修業し,1927年グッゲンハイム賞を受賞。フランスのパリに留学しコンスタンチン・ブランクーシに師事,1929年アメリカに帰国。金属による抽象彫刻を制作し批評家の注目を浴びた。1929~31年アジアを旅行。その後テラコッタセメントを用いて建築装飾の彫刻を制作。1940年代には石や木による抽象彫刻を多く制作した。1949年以後数回訪日し,備前焼織部焼陶器の彫刻を試みた。家具,舞台装置,コスチュームのデザイナーとしても活躍。代表作『アンナ・マリー・マーケルの肖像』 (1929,バッファロー美術館) ,『拡大する宇宙』 (1932,トレド美術館) ,『クーロス』 (1945,ニューヨーク,メトロポリタン美術館) 。ニューヨークにイサム・ノグチ庭園美術館がある。

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百科事典マイペディア 「ノグチ」の意味・わかりやすい解説

ノグチ

米国の彫刻家。父は詩人野口米次郎。米国人の母との間にロサンゼルスで生まれ,日本,米国,中国で教育を受ける。医学を学ぶが,ブランクーシの作品に触れ,美術の道を志す。1927年から2年間パリでブランクーシに師事。モニュメントや壁面装飾だけでなく家具や造園にいたるさまざまな活動を通して,有機的なフォルムと素材の豊かな表情を引き出す才能を発揮した。ブランクーシの芸術的ビジョンを正統に受け継ぎ,瞑想的な精神性を感じさせる抽象形態には西洋と東洋の美的感性の統合のひとつのあり方を見ることもできる。代表作にパリのユネスコ本部の石庭(1956年―1958年),デトロイトの《ハート・プラザ》などがある。
→関連項目カーロ

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世界大百科事典(旧版)内のノグチの言及

【環境芸術】より

…したがって,環境芸術と呼ばれるものには,次のような二つの分野が包含される。まず,都市や自然空間を対象とした造形の分野では,彫刻家イサム・ノグチの彫刻庭園や噴水造形,また彫刻家A.コールダーの動く彫刻(モビール)や彫刻(スタビール)が代表的な例である。さらに,建築の壁面や大きな塀に描かれるイラストレーションも,壁画の発展としての環境芸術である。…

※「ノグチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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