アメリカの写真家。ルクセンブルク生れだが,1880年に両親とともにアメリカに移民している。スタイケンは幼いころから絵画に興味を持ち,写真を撮るようになったきっかけも,版画のモティーフの資料としてであった。彼は写真に,役に立つものと芸術的なものとを同時に見,それが写真への深い興味となり,生涯にわたる写真へのかかわり方の原点となった。第1次世界大戦までのスタイケンは,A.スティーグリッツらとともに〈フォト・セセッション(写真分離派)〉の設立メンバーとして活躍,写真芸術の推進者として彫刻家ロダンをその彫刻と組み合わせて撮ったポートレート(1902)など,数々の絵画的な写真の名作を残した。第1次世界大戦中にはアメリカ空軍の航空写真班として従軍,その体験は写真のもつ機能というものにさらに眼を開かせることとなった。のち《ボーグ》《バニティ・フェア》を出版していたコンデ・ナスト社の写真部長に就任,数多くのファッション写真を撮り,斬新なスタイルを打ち出して活躍した。第2次世界大戦後はニューヨーク近代美術館の写真部長に就任,1954年には,世界各国の一流の写真家の作品を集めて,人類の幸福と不幸を壮大な規模で示す一大写真展〈ザ・ファミリー・オブ・マン(人間家族)〉をディレクトした。独特のヒューマニズムに満ち,多くの人々に感動をもって迎えられたこの写真展は,彼の写真の思想を集大成したものである。同写真展は日本でも56年に公開された。ほかに写真集として《生涯と写真A Life in Photography》(1963)がある。
執筆者:金子 隆一
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アメリカの写真家。ルクセンブルクに生まれ、のちアメリカに帰化する。印刷会社の下絵工から身をおこし、写真は独学で習得した。フィラデルフィアのサロン出品(1899)を機に、スティーグリッツに認められる。1923年には雑誌『ボーグ』や『バニティー・フェア』などの出版社で主任写真家となり、ファッションやハリウッドのスターの写真を多く手がけるようになる。第二次世界大戦中は空軍で戦略写真の技術指導にあたり、戦後は47年にニューヨーク近代美術館に迎えられ、写真部門の初代学芸部長を務めた。54年、彼の企画でヒューマニズムをテーマとした大写真展「ザ・ファミリー・オブ・マン」が開催され、世界各国に巡回されて大きな反響をよんだ。
[平木 収]
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