ポンピドゥー

デジタル大辞泉 「ポンピドゥー」の意味・読み・例文・類語

ポンピドゥー(Georges Pompidou)

[1911~1974]フランス政治家。第19代大統領。1958年ド=ゴール内閣の官房長を務め、1962年首相就任。1969年ド=ゴール退陣後の大統領選挙で当選し、大統領に就任。1974年現職のまま病死ポンピドー。→ジスカールデスタン

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百科事典マイペディア 「ポンピドゥー」の意味・わかりやすい解説

ポンピドゥー

フランスの政治家。エコール・ノルマル卒。1944年ド・ゴール臨時政府参画,1956年ロスチャイルド銀行総支配人。1958年以降ド・ゴールの第五共和政協力,1962年―1968年首相となり,1969年ド・ゴール退陣後大統領。ド・ゴールの外交路線を引き継ぐ一方,フランスの経済力強化にも努めた。1974年急死
→関連項目ジスカール・デスタンシラクフランスポンピドゥー・センター

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改訂新版 世界大百科事典 「ポンピドゥー」の意味・わかりやすい解説

ポンピドゥー
Georges Pompidou
生没年:1911-74

フランスの政治家。1944年にド・ゴール将軍の官房に入って以来長くその側近の位置にあり,58年6月ド・ゴール政権成立とともに官房長官となる。61年アルジェリア民族解放戦線(FLN)と秘密交渉にあたり,アルジェリア戦争を終結に導いた。62年より68年まで首相を務め第五共和政の政治の中心的役割を担う。69年ド・ゴール大統領が辞任してのち,6月に大統領に選ばれた。第五共和政の基本路線は継承しつつも,69年にフラン切下げを断行し,また72年にはイギリスEC加盟を拒否する政策を放棄するなど,新たな状況への対応を示したが,74年4月大統領在職中に病死した。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ポンピドゥー」の解説

ポンピドゥー
Georges Pompidou

1911~74

フランスのド・ゴール派の政治家。ロスチャイルド銀行の頭取から首相(在任1962~68)に抜擢され,安定化計画を公表して高度経済成長を達成した。1968年の五月革命でも精力的に労組と交渉し,運動のエネルギーをそぐことに成功。その余勢を駆って大統領(在任1969~74)に当選し,ド・ゴール政治の継続と開放を謳うが,世界経済の悪化とともに健康も悪化し,任期中に死去。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ポンピドゥー」の解説

ポンピドゥー
Georges Pompidou

1911〜74
フランスの政治家。第五共和政の第2代大統領(在任1969〜74)
ド=ゴール派の手腕家で,アルジェリア和平会談を成功させ,1962〜68年首相をつとめ,69年ド=ゴール退陣のあと大統領に就任。柔軟政策に転換し,イギリスのヨーロッパ共同体(EC)加盟を実現させた。1974年4月,在職中に急死。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポンピドゥー」の意味・わかりやすい解説

ポンピドゥー
ぽんぴどぅー

ポンピドー

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世界大百科事典(旧版)内のポンピドゥーの言及

【第五共和政】より

… こうしてド・ゴール体制はフランスにさまざまな方面の転換をもたらしたが,68年のいわゆる五月革命の後,69年4月地方制度と上院改革の国民投票に敗れてド・ゴールは大統領を辞任した。以後ポンピドゥーが大統領としてド・ゴール体制を引き継いだが,74年急死し,独立共和派のジスカール・デスタンが大統領となった。さらに81年4月の大統領選挙では社会党のミッテランが当選,続く6月の議会選挙でも社会党が躍進して新政権を誕生させ,これに34年ぶりに共産党も入閣した。…

※「ポンピドゥー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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