スイスの文化史家,美術史家。はじめ神学を研究したが,のち歴史学および美術史に転じ,とりわけベルリン大学のランケ,クーグラーに学んだ。バーゼル大学講師(1844),チューリヒ工業大学美術史教授(1855)を経て,1858-93年バーゼル大学歴史学教授。この間,ランケの後任としてベルリン大学から招聘を受けたが,辞退して故郷バーゼルを離れなかった。ブルクハルトは,学問的な文化史および美術史の創始者である。最初の主要著作《コンスタンティヌス大帝の時代》(1853)は,古代から中世への過渡期をテーマとした。しかし,イタリア旅行の体験により,関心はルネサンスに転じて,まずイタリア美術の案内書《チチェローネ》(1855)を執筆し,ついで代表作《イタリア・ルネサンスの文化》(1860)を出版した。生前の最後の刊行書《イタリア・ルネサンスの歴史》(初版1867,2版1878)は,元来イタリア・ルネサンスの建築史である。ブルクハルトによれば,美術史とは,芸術家の歴史ではなく,課題による体系的叙述であり,文化史も,できごとの叙述ではなく,状態の体系的叙述である。両者はともに,〈繰り返されるもの,恒常的なもの,類型的なもの〉を考察し,内面的に統一されている。なおブルクハルトは,予見的な時代批判者としても著名である。遺稿出版として《ルーベンス回想》(1898),《ギリシア文化史》4巻(1898-1902),《世界史的考察》(1905),《歴史的断章》(1929)がある。
執筆者:岸田 達也
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1818~97
スイスの歴史家。古典主義の立場から文化史を研究し,『イタリア・ルネサンスの文化』(1860年)を著した。『世界史的考察』(1905年)には貴族主義的なペシミズムが示されている。
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…ニーチェの思想形成は,こうした19世紀ドイツ市民社会の知的状況に深く根ざしている。
[ショーペンハウアー,ワーグナー,ブルクハルトとの出会い]
1864年ニーチェはボン大学に入り当初は母の希望もあって神学を学ぶが,すぐに古典文献学専攻に変わり,やがて師のリッチュルFriedrich Ritschl(1806‐76)の転任にともないライプチヒ大学に移る。ライプチヒで彼はショーペンハウアーの哲学を知り,ワーグナーの謦咳(けいがい)に接する。…
…多面的才能を兼ねそなえた人間。スイスの史家ブルクハルトが《イタリアにおけるルネサンス文化》(1860)のなかで,ルネサンスが生んだ万能の天才を〈普遍人uomo universale〉として特色づけて以来,広く使用されるようになった。普遍人は,特異な狭い領域にのみ才能を発揮する〈異才人uomo singolare〉と対比され,他方,狭くはないがその広さが特定の領域,たとえば学識や芸術にのみ限られる百科全書的知識人や万能芸術家とも区別される。…
…1858年《ドイツ文化史雑誌》(現在の《文化史雑誌》の前身)が創刊されたが,その目的は,資料の収集とともに,文化史の方法の樹立にあった。 そのような意味での学問的な文化史の創始者は,ブルクハルトであり,その代表作《イタリア・ルネサンスの文化》(1860)は,文化史の古典と目されている。ブルクハルトの文化史の方法は,彼の美術史の方法と根本において一致する。…
※「ブルクハルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
突発的に発生し、局地的に限られた地域に降る激しい豪雨のこと。長くても1時間程度しか続かず、豪雨の降る範囲は広くても10キロメートル四方くらいと狭い局地的大雨。このため、前線や低気圧、台風などに伴う集中...