改訂新版 世界大百科事典 「ブルゴーニュ座」の意味・わかりやすい解説
ブルゴーニュ座 (ブルゴーニュざ)
Théâtre de l'Hôtel de Bourgogne
正式には〈オテル・ド・ブルゴーニュ座〉という。また〈ブルゴーニュ館〉の訳語もときにあてられる。フランス最初の常設劇場で,のちにはそれに拠る劇団をも指した。現在の国立劇場コメディ・フランセーズの淵源の一部を成す。
その歴史は,パリ市内のかつてブルゴーニュ公の館があった場所を中世宗教劇の上演団体〈受難劇組合〉が買い取り,そこに1548年に新しい劇場を開設したことに始まる。聖史劇の上演禁止に伴い非宗教劇を上演していたが,客の入りが悪く,16世紀末地方劇団にこの劇場を賃貸し始めた。こうしてバルラン・ル・コントValleran Le Comteの率いる〈国王付き劇団〉などが使用し,A.アルディ,J.ロトルー,J.メレらの劇作品を初演した。1634年に競争相手のマレー座Théâtre du Maraisが創設され,P.コルネイユの作品がモンドリーMon(t)dory(1594-1653)率いる一座によって上演されるまで劇界に君臨した。モンドリーの病気引退(1636)後,力を取り戻し,座長フロリドールFloridor(?-1672)の率いる〈ブルゴーニュ座国王付き劇団〉が発足し人気を得た。58年モリエールがパリに戻ると一時人気を奪われたが,J.ラシーヌの傑作悲劇を次々に初演して再び全盛時代をつくった。73年モリエールの死により,マレー座とモリエール一座が合併しゲネゴー座Théâtre Guénégaudとなったが,80年には王命によってこのゲネゴー座とブルゴーニュ座劇団が合体し,コメディ・フランセーズが生まれた。一方,ブルゴーニュ座の劇場はのちイタリア人劇団がほとんど定期的に使用していたが,1783年には閉鎖された。ブルゴーニュ座は16,17世紀に傑作を上演した点で,演劇史上重要である。
執筆者:伊藤 洋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報