プロフェッショナル・レスリングprofessional wrestlingの略称で、興行として行われるレスリング・ショー。日本ではプロレスと略される。3本のリングロープで囲まれた6メートル四方ほどの広さのリング内で競技者が格闘をする。勝敗は、相手をマットに押さえ付けて密着させ、3秒間これを固定させた場合に決する。これを判定するのはレフェリーで、レフェリーは競技者がボディ・プレス(押さえ込み)の体勢に入ったときに3カウントして勝負を見届ける。また、一方が失神あるいは戦意を失ってギブアップ(降参)の意思表示を行った場合、あるいはリング外に出て、定められたカウント(20カウント=20秒)以内に戻らなかった場合はリング・アウトで負けになる。ほかに反則による失格、両者失格による引き分け、両者がノック・ダウンして同時カウント・アウトによる引き分け、タイム・アップ(規定時間切れ)による引き分けなどもある。
プロレスリングは、いわゆる純粋スポーツではなく、ショー的要素の比重が大きく、プロレスリングの本場といわれるアメリカでは、マット・ショーmat showとかスペクテーター・スポーツspectator sports(観賞用スポーツ)などとよばれている。競技者は単なる勝敗を争うにとどまらず、アスリート技術に加え演技力も必要とされるなど、独特のジャンルとして多数の固定ファンを維持してきた。
[流 智美 2022年11月17日]
サーカスの余興プログラムの一環として1700年代後期くらいに発生したのが始まりといわれているが、一つの独自な興行形態をとるようになり、1800年代中期から後期にかけてのヨーロッパで今日のプロレスリングの源流が発生した。とくにフランスのパリで定期的に開催されていた大会は「世界選手権大会」の冠を名のり、プロレスリング創成期において、もっとも権威あるものであった。この時代に有名なのは、エストニア出身で「ロシアのライオン」といわれたジョージ・ハッケンシュミットGeorge Hackenschmidt(1877―1968)である。
アメリカでプロレスリングがスタートしたのは南北戦争の政治混乱が完全に沈静化した1870年前後で、ヨーロッパ(とくにイギリス)から移入されたフリー・スタイルのレスリング(キャチ・アズ・キャチ・キャン)が、アメリカ大陸の荒っぽい気質と土壌で独特の格闘技に発展、初めてプロフェッショナル・レスリングということばが生まれた。1908年、ヨーロッパ選手権者のジョージ・ハッケンシュミットとアメリカ選手権者のフランク・ゴッチFrank Gotch(1877―1917)がシカゴで世界選手権を賭(か)けて対戦し、ゴッチがトーホールド(足首固め)でハッケンシュミットを破って初代世界選手権者を名のる。これが近代プロレス史の第1ページであり、プロレスリングはプロスポーツ興行王国のアメリカで発展し、スペクテーター・スポーツとして現在でも大衆の娯楽の一翼を担っている。
日本では1921年(大正10)にアメリカのプロレスラー、アド・サンテルAd Santel(本名・アドルフ・エルンストAdolph Ernst。1887―1966)が来日、柔道四段の庄司彦雄(しょうじひこお)(1896―1960)と靖国(やすくに)神社境内の相撲(すもう)場で戦って引き分けたのが最初だが、これはプロレスリングと柔道の対抗試合であった。日本で本格的にプロレスリングが生まれたのは、第二次世界大戦後の1951年(昭和26)に元プロレスリング世界チャンピオン、ボビー・ブランズBobby Bruns(1914―1983)以下6人のアメリカのレスラーが来日して、大相撲から転向した元関脇(せきわけ)力道山(りきどうざん)らと試合を行ったときである。その後、1953年に日本プロレスリング協会が設立され、力道山を中心にプロレス・ブームをつくった。1954年には世界タッグ選手権者のシャープ兄弟Ben Sharpe(1916―2001)、Mike Sharpe(1923―1988)が来日、柔道から転向した木村政彦(まさひこ)(1917―1993)と力道山がこれを迎え撃ち、プロレスリングの黄金時代をスタートさせた。またプロレスリングはテレビの普及に一役買い、戦後風俗史の1ページを飾った。
[流 智美 2022年11月17日]
現在のプロレスリング界は、興行組織(プロモーター・ユニオン)の乱立で、世界選手権者も世界各地に乱立しているが、ポピュラーなのはWWE(World Wrestling Entertainment、2002年WWFから改称)で、アメリカのプロレス市場をほぼ独占している。
日本における現在のプロレスリングは、ともに1972年旗揚げの新日本プロレスと全日本プロレスを中心として興行が行われているが、そのほかに、男子プロレス、女子プロレスあわせて30以上の団体やプロモーションが乱立しており、それぞれの興行のほか異なる団体の選手(レスラー)同士で組む合同興行も数多く行われている。試合のテレビ中継は民放の地上波では、テレビ朝日(新日本プロレス)が週に一度中継しているだけだが、BS、ケーブルでは多くの局がスポットで独自のプロレス番組を制作し放映している。
日本のプロレスリング史上、代表的なスター(レスラー)としては創始者の力道山、その弟子であるジャイアント馬場、アントニオ猪木(いのき)の3人がいるが、馬場、猪木以降の世代でも藤波辰爾(たつみ)(本名・藤波辰巳。1953― )、長州力(ちょうしゅうりき)(本名・郭光雄(かくこうゆう)、通名・吉田光雄(みつお)。1951― )、ジャンボ鶴田(つるた)(本名・鶴田友美(ともみ)。1951―2000)、天龍(てんりゅう)源一郎(本名・嶋田源一郎。1950― )、初代タイガーマスク(本名・佐山聡(さとる)。1957― )、前田日明(あきら)(1959― )、三沢光晴(みつはる)(1962―2009)、武藤敬司(けいじ)(1962― )などの人気レスラーが次々と輩出し、根強いプロレス人気を持続させている。
[流 智美 2022年11月17日]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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