ヘースティングズの戦い(読み)へーすてぃんぐずのたたかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘースティングズの戦い」の意味・わかりやすい解説

ヘースティングズの戦い
へーすてぃんぐずのたたかい

1066年、ノルマンディー公ウィリアム(ギヨーム2世)がイングランドハロルド2世を破ってイギリス征服ノルマン・コンクェスト)を果たした戦い。ウィリアムは、エドワード懺悔(ざんげ)王との間にできていた王位継承の約束を、王の死後王位を継いだハロルド2世により破られたため、彼を撃つことを決意。同年9月末にイングランドに上陸し、ヘースティングズHastingsに陣を張った。その直前ノルウェー王をスタンフォードで破ったハロルドはただちに兵を返して、同年10月14日ヘースティングズで対決。ノルマン騎兵軍に対してイングランド歩兵軍は善戦したが敗れ、ハロルドも戦死した。

[富沢霊岸]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘースティングズの戦い」の意味・わかりやすい解説

ヘースティングズの戦い
ヘースティングズのたたかい
Battle of Hastings

ノルマンディー公ウィリアムのイングランド征服 (→ノルマン・コンクェスト ) の際の戦闘。 1066年 10月 14日現在のイーストサセックス県ヘースティングズ北郊で,王位継承を主張するウィリアムの率いる騎兵隊が,イングランド王ハロルド2世のアングロ・サクソン軍を破り,ハロルドを敗死させた。 12月ウィリアム1世として即位し,ここにアングロ・サクソン時代は終りを告げた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヘースティングズの戦い」の解説

ヘースティングズの戦い(ヘースティングズのたたかい)
Hastings

1066年,ノルマン人の征服帰趨を決めた戦い。王位継承を主張して侵入してきたノルマンディウィリアム1世がハロルドを破った。ヘースティングズはイングランド東南部の港町実際の戦いはこの町の近郊で争われた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ヘースティングズの戦い」の解説

ヘースティングズの戦い
ヘースティングズのたたかい
Hastings

1066年ノルマンディー公ウィリアム(1世)がイングランド王ハロルド2世を破った戦い
この戦いでアングロ−サクソン歩兵軍は壊滅 (かいめつ) し,ハロルド2世も敗死,ノルマン人のイングランド征服が決定的となった。ヘースティングズはイギリスのサセックス州の都市

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