ノルマン・コンクエスト(読み)ノルマンコンクエスト(英語表記)Norman Conquest

翻訳|Norman Conquest

百科事典マイペディア 「ノルマン・コンクエスト」の意味・わかりやすい解説

ノルマン・コンクエスト

1066年イングランド王エドワード懺悔(ざんげ)王)が死に,義弟ハロルド即位した際,ノルマンディー公ウィリアム王位を要求して侵入し,ヘースティングズの戦でハロルドを破ってウィリアム1世として即位した事件をいう。中世英国史上の一大画期をなす。→ノルマン朝
→関連項目アングロ・サクソン人イギリス英語カウンティサウサンプトンチャネル[諸島]ノルマン人ノルマンディー公国

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ノルマン・コンクエスト」の意味・わかりやすい解説

ノルマン・コンクェスト
のるまんこんくぇすと
Norman Conquest

1066年のノルマンディー公ウィリアムによるイギリス征服。彼はイギリスのエドワード懺悔(ざんげ)王から二度も王位継承の約束を得ていたが、懺悔王の死後、その義弟ウェセックス伯ハロルドが即位(ハロルド2世)したため征服を決意し、教皇の支持も得て同年9月イングランド南東岸のペブンジーに上陸。一方ハロルド2世は、その直前やはりイギリス王位をねらうノルウェー王ハロルド・ハルドラーダをスタンフォードで破ったが、ただちに兵を返し、10月14日ヘースティングズで両者は対決、ハロルドは戦死した。ウィリアムは同年末ロンドンに入ってイギリス王ウィリアム1世として即位、ノルマン朝を開いた。征服に従ったノルマン貴族が支配者層を形成し、大陸の軍事的封建制も導入され、大陸との関係も強化された。なお、1730年にフランスのバイユー聖堂で発見された綴織(つづれおり)「バイユー・タペストリー」には、このときの戦闘の場面が詳しく描かれている。

[富沢霊岸]

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