日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホワイト・キューブ」の意味・わかりやすい解説
ホワイト・キューブ
ほわいときゅーぶ
white cube
近代以降につくられた、美術作品の展示空間に見られる、白い立方体(ホワイト・キューブ)の内側のような空間的特性を指していう概念。アメリカの美術批評家、作家ブライアン・オドハーティBrian O'Doherty(1935― 、パトリック・アイルランドPatrick Irelandの名で美術作家としても活動している)が、1975年1月にロサンゼルス・カウンティ美術館で行った講演「ホワイト・キューブの内部で――1855―1974年」Inside the White Cube, 1855-1974で提起したのが始まり。
壁面はただ白く塗られ、余分な凹凸や室内装飾は極力排除され、均質な光が空間を満たす。これらは近代以降の画廊や美術館の展示空間にのみ見られる特性である。近代以前のヨーロッパでは美術作品が展示される場合、展示空間は室内装飾やほかの多くの調度品などと同列に扱われ、作品は壁に床にぎっしりと並べられるのが普通だった。それが近代になって「白い立方体」にとって代わられたのは、人が美術作品に向ける関心のありようが変化したからである。つまり近代以降、美術作品はそれ自体が自立的な、一つの完結した存在と見なされるようになった。そのため、作品が展示される空間は作品の自律性を尊重したものとならなければならない。具体的には、外部の空間を完全に遮断し、しかも展示空間それ自体も作品の見え方に干渉しないものであることが必要となる。すなわちなにもない、鑑賞者さえもいない空間に、ただ作品だけが存在するように見えるような展示空間が理想なのである。
この理想を実現するものとしてのホワイト・キューブというスタイルは、バウハウス流の機能主義的造形思考の影響の下、1920年代にはすでに完成し、展示空間の標準規格として一般的になった。その一般化に決定的な役割を果たしたのが、29年に開設され、史上初めて「近代美術館」を名乗ったMoMA(ニューヨーク近代美術館)である。バウハウスで生まれ、MoMAによって広められたところにホワイト・キューブが近代美術=モダニズムと不可分の関係にあるといわれるゆえんがあるが、そこには一つの逆説がある。
オドハーティによると、このホワイト・キューブのように外部から切り離され、厳粛な法則にしたがってつくられた空間は、その内部に展示されたものに対して強い影響力をもつ。そこに置かれたものは、たとえばスタンド式の灰皿でさえ芸術作品のように見えてしまう。近代から現代にかけての美術作品は、それが「作品」なのかどうかよくわからないものであることも少なくないが、ホワイト・キューブはそうしたものまでも有無をいわさず「作品」のように見せる。つまりホワイト・キューブが登場して以降、「美術作品」が置かれることでその空間が「美術館」や「画廊」となるのではなく、ある「なにか」がホワイト・キューブとなった美術館や画廊の内側に置かれることで「近代美術の作品」と見なされるのである。
近代的な展示空間の方が近代的な美術作品を規定するというこの逆説は、さらにもう一つの逆説を含んでいる。ホワイト・キューブとは、たんに視覚的にというだけでなく、政治的にも作品のあり方に干渉することを嫌ったことから生まれたスタイルだった。つまりそこでは、あらゆる作品をいっさいの政治・社会的なイデオロギーから切り離し、ただ美しいものとして鑑賞することが求められる。しかしそうした非政治的なものとして近代美術=モダニズムを規定することは、実際には政治的であることから逃れられないものを非政治的なものと強弁することであり、実はそれこそがきわめて政治的な一つのイデオロギーにほかならない、ということもできるのである。
[林 卓行]
『Brian O'DohertyInside the White Cube; The Ideology of the Gallery Space (1999, University of California Press, Berkeley)』