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アイルランドの修道士。アイルランドの守護聖者として広く尊崇されている。スコットランドの生まれで、少年のときアイルランド人の侵入を受け、奴隷となる。帰国後フランスのレリン、オークセール修道院で神学を学び、司教に叙せられ、当時ドルイドの異教を信じていたアイルランドに伝道し、大半をキリスト教に改宗させ、多数の教会、修道院を建てた。彼は司祭、聖歌隊、牧畜、農耕、森林の仕事に携わる者、鍛冶(かじ)、裁縫、建築、ワイン醸造、石工などを大ぜい引き連れて布教した。彼の聖者表号であるクローバーを摘んで三位(さんみ)一体を説いたという。晩年自らの伝道の生涯を記録した『告白録』が残っている。この聖者の祝日は3月17日。彼が瞑想(めいそう)と祈りの生活をした洞窟(どうくつ)のあるアイルランド中部のダーグ湖は有名な巡礼地。
[植田重雄 2017年12月12日]
『ヤコブス・デ・ウォラギネ著、前田敬作・今村孝訳『黄金伝説I』(1979・人文書院/平凡社ライブラリー)』▽『池田敏雄著『教会の聖人たち 上巻』改訂増補版(1981・中央出版社)』
アイルランド人の使徒,聖人。ラテン名パトリキウスPatricius。16歳のとき奴隷としてアイルランドに連れて来られたが,6年後ガリアに逃れ,レランの修道院で修行したのち,431年ふたたびアイルランドに渡り,翌年司教に叙階された。各地でドルイド教徒の妨害を排除し,教会堂を建立し,444年にはアルマーに司教座聖堂を設け,教会行政と教育の中心とした。ラテン語の学習をはじめとして学問一般を奨励し,アイルランド教会を西欧カトリック教会の一員として再編するために努力した。生前からすでに多くの伝説や奇跡物語に彩られたその生涯を正確に知る資料は,《告白》と書簡だけであるが,死後〈アイルランドの守護聖人〉として特別の尊崇を集めるようになった。祝日は3月17日。
執筆者:八代 崇
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…人文主義や宗教改革など16世紀の精神と響和して,《ユートピア》は人間主義と原初志向とをうたいあげ,あわせて現実批判の鋭利な手段ともなりえたのである。同世紀にはほかにA.F.ドーニ《世界》(1552),F.パトリーツィ《至福の都》(1553)など,新世界情報をも盛りこんだユートピアが描かれた。17世紀初頭には著名な2例があらわれる。…
※「パトリック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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