現代外国人名録2016 「ボブディラン」の解説
ボブ ディラン
Bob Dylan
- 職業・肩書
- シンガー・ソングライター
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1941年5月24日
- 出生地
- ミネソタ州ダルース
- 本名
- ツィマーマン,ロバート・アレン〈Zimmerman,Robert Allen〉
- 学歴
- ミネソタ大学中退
- 受賞
- アカデミー賞主題歌賞(第73回,2000年度)〔2001年〕「THINGS HAVE CHANGED」,ピュリッツァー賞特別賞〔2008年〕,プリンストン大学名誉音楽博士号,グラミー賞(9回)〔1969年〜2007年〕,グラミー賞特別功労賞(第33回)〔1991年〕,ゴールデン・グローブ賞主題歌賞(第58回,2000年度)
- 経歴
- ユダヤ移民の子として生まれる。1961年に大学を中退するとニューヨークに出てフォークソング運動に参加し、’62年「ボブ・ディラン」でレコードデビュー。やがて公民権運動が高まりを見せる中、「風に吹かれて」(’62年)、「戦争の親玉」「時代は変わる」(’63年)など、反戦・平和・平等といったメッセージ性の強いプロテスト・ソングによって学生層を中心に圧倒的な支持を集め、’60年代後半以降の日本のフォーク歌手にも大きな影響を与えた。’65年以降は次第にロックンロールに傾倒し、「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」「追憶のハイウェイ61」「ブロンド・オン・ブロンド」といったアルバムを発表。特に’65年にリリースしたシングル「ライク・ア・ローリング・ストーン」はチャート1位となるなど高く評価されたが、それまでのフォークソング路線を支持していた人たちからは非難もあった。絶頂期の’66年、ニューヨーク州ウッドストックの自宅付近でモーターバイク事故に遭ったのを機にすべての活動を中止し、休養とデモテープ作成に専念。’68年アルバム「ジョン・ウェズリー・ハーディング」を発表して復活し、’74年にはかつてのバックバンドであったザ・バンドとともに録音したアルバム「プラネット・ウェイブス」で初のチャート1位を獲得した。以来、休むことなくアルバム制作とライブ活動を続け、’78年には12年ぶりのワールドツアーを行い、初来日。’85年アフリカの貧困救済を目的としたチャリティー・コンサート、ライブ・エイドに出演。’90年代に入ってからは伝統的なフォークをギターの弾き語りで歌う作品を次々に発表。2000年映画「ワンダー・ボーイズ」に提供した「シングズ・ハブ・チェンジド」でゴーロデングローブ賞とアカデミー賞主題歌賞を受賞。2004年「ボブ・ディラン自伝」を刊行。2005年にはマーティン・スコセッシ監督による自伝的ドキュメンタリー「ノー・ディレクション・ホーム」がテレビ放送された。2006年6年ぶりのアルバム「モダン・タイムス」をリリースし、久々にチャート1位に輝く。2007年トッド・ヘインズ監督により、6人の俳優が各々ディランを演じるという斬新な映画「アイム・ノット・ゼア」が製作され話題を呼ぶ。主なアルバムは他に「フリー・ホイーリン・ボブ・ディラン」「時代は変わる」「ナッシュビル・スカイライン」(以上1960年代)、「血の轍」「欲望」「セイブド」(以上’70年代)、「バイオグラフィ」「インフィデル」「オー・マーシー」(以上’80年代)、「アンダー・ザ・レッド・スカイ」「奇妙な世界に」「タイム・アウト・オブ・マインド」(以上’90年代)、「ラブ・アンド・シフト」(2001年)、「トゥゲザー・スルー・ライフ」(2009年)など。その楽曲は現在に至るまでジャンルを問わず数多くのミュージシャンにカバーされており、特にザ・バーズによってカバーされた「ミスター・タンブリン・マン」などが有名。その歌詞は現代詩としても評価されており、1974年「ボブ・ディラン全詩集」を刊行した。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報