ポズナン暴動(読み)ポズナンぼうどう(その他表記)Wypadek Poznański

改訂新版 世界大百科事典 「ポズナン暴動」の意味・わかりやすい解説

ポズナン暴動 (ポズナンぼうどう)
Wypadek Poznański

1956年,共産党(統一労働者党)支配下のポーランドに起きた最初の民衆暴動で,〈十月の春〉と呼ばれた大幅な政治体制の自由化をもたらした。56年6月ポズナン市の自動車エンジン工場〈ツェギエルスキ〉の労働者が待遇改善を求めてストライキに入り,街頭デモを行ったのが発端となった。治安部隊発砲によってデモは暴動となって,監獄,警察,党支部,外国放送妨害電波発信所などが襲われた。公式発表によれば死者53名,負傷者約300名。

 事件の全容は,おりから同市で開かれていた国際見本市のため外国紙に詳しく報道された。国内でも第20回ソ連共産党大会以来高まっていた批判的空気が一挙に先鋭化し,抗議デモが全国に波及した。10月共産党指導部が更迭され,ゴムルカが政権に復帰した。事態はソ連の軍事介入を招く恐れがあったが,新政権は国民に一定の範囲での言論の自由化,消費物資の供給改善,外国旅行の自由化等を約束し,他方で共産党の単独支配,ワルシャワ条約機構体制という大枠を堅持して危機を切り抜けた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポズナン暴動」の意味・わかりやすい解説

ポズナン暴動
ポズナンぼうどう
Poznan Riots

1956年6月 28日ポーランド西部の工業都市ポズナンで起こった反政府暴動。ポズナニ暴動ともいう。工場労働者の賃上げ要求のストライキがきっかけであったが,暴動化して 53人の死者を出し,3日間荒れ狂った。ポーランド統一労働者党指導部は事態の処理をめぐって分裂したが,暴動は反革命分子の仕業であると主張するスターリン主義者の強弁は否定され,原因は過去の党の政策の誤りにあるとする立場が採択された。暴動首謀者の処罰も軽いものとなった。この事件をきっかけとしてポーランドでも非スターリン化が急速に進み,10月にはかつて民族共産主義者として批判されたウワディスワフ・ゴムウカが復活し,エドワルド・オハプに代わって党第1書記となった。ハンガリー動乱はポーランドのこの 10月政変 (十月の春) に直接刺激されたものであった。 (→ポーランド史 )

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世界大百科事典(旧版)内のポズナン暴動の言及

【ポーランド】より

…(3)1956‐70年 統一労働者党支配がとくにイデオロギー面で弛緩し,若干の外交的自由が回復された。ソ連共産党第20回大会でのスターリン批判ポズナン暴動(1956年6月)の衝撃は党の支配を大きく揺るがした。56年10月,党第一書記に返り咲いたゴムウカは一連の改革を実施した(〈十月の春〉)。…

※「ポズナン暴動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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