マジャパヒト王国(読み)マジャパヒトおうこく(その他表記)Majapahit

精選版 日本国語大辞典 「マジャパヒト王国」の意味・読み・例文・類語

マジャパヒト‐おうこく‥ワウコク【マジャパヒト王国】

  1. ( マジャパヒトはMajapahit ) 一三世紀末から一六世紀初めにかけてジャワ中・東部を支配したヒンドゥー教王国シンガサリ朝一族、ラデン=ウイジャヤが元軍の侵略を撃退してスラバヤ付近のマジャパヒトに建てた王国で、一四世紀半ばが最盛期で、版図はボルネオ・マラッカ・スマトラにまで及んだ。一六世紀初頭、イスラム勢力の勃興により滅亡

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「マジャパヒト王国」の解説

マジャパヒト王国(マジャパヒトおうこく)
Majapahit

1293~1527?

ジャワの王国。クルタナガラ王の招いた元寇(げんこう)の混乱のなかから,その女婿ウィジャヤが建国。14世紀半ばハヤム・ウルク王のとき,名宰相ガジャ・マダにより最盛期を迎え,『ナーガラクルターガマ』はその支配が現在のインドネシアからマレー半島に及んだとする。15世紀後半にマラッカ王国に交易支配権が移り,衰退に向かった。最後にして最も栄えたインド的な姿のジャワの王国だが,その文学,建築,美術は著しくジャワ的にデフォルメされた姿を示している。

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旺文社世界史事典 三訂版 「マジャパヒト王国」の解説

マジャパヒト王国
マジャパヒトおうこく
Majapahit

1293〜1520
ジャワ島を中心としたヒンドゥー教王国
元の遠征軍来島の直前反乱で滅亡したシンガサーリ朝の王族ヴィジャヤが,元軍の支持を得て王位につき,ついで元軍を追放してジャワ島東部マジャパヒトに都を置いて王朝を始めた。第4代の王ハヤム=ウルクが名宰相ガジャ=マダの補佐を得て最盛期を現出,15世紀後半よりイスラーム勢力の進出で衰えた。

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