マビヨン(その他表記)Jean Mabillon

改訂新版 世界大百科事典 「マビヨン」の意味・わかりやすい解説

マビヨン
Jean Mabillon
生没年:1632-1707

ランスの学者,サン・モール会ベネディクト会士。シャンパーニュ地方のサン・ピエールモンの農家に生まれた。早く神学校に入り,1653年にはサン・レミ修道院に入ったが,厳しい生活のため病気になりスペインのコルビアに療養に送られ,そこで司祭に叙任された(1660)。64年パリのサン・ジェルマン修道院のL.ダシュリー師の依頼で同修道院に移り,師の研究を助けたが,聖ベルナールの著作集を準備していたシャントルー師が急逝し,その仕事を託された。ダシュリー師の下でデュ・カンジュバリューズ,東洋学者デルブロ,ボシュエらの碩学と交際した。ダシュリー師とともに《ベネディクト会聖人伝》の刊行を始めたマビヨンは,資料批判が厳しすぎるという批判に答えるため,《古公文書について》を1681年に著した。この大冊はヨーロッパ中の学者の賞賛の的となり古文書学の基礎文献として今日に至っている。《ベネディクト会年代記》《聖ベルナール全集》《ベネディクト会聖人伝》(9巻)など多くの業績のほか,膨大な書簡も残し,謙虚・篤学で知られるベネディクト会士のなかでも代表的な学僧である。1701年には開設されてまもない金石碑文アカデミーAcadémie des Inscriptions et Belleslettres名誉会員に推された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マビヨン」の意味・わかりやすい解説

マビヨン
まびよん
Jean Mabillon
(1632―1707)

フランスの聖職者、歴史家。フランス北東部の山村サン・ピエルモンに生まれる。ランスの教区神学校で学んだのち、1653年同市のサン・ルミ修道院に入り、司祭になってからコルビー修道院、さらにパリのサン・ドニ修道院、1664年からはサン・ジェルマン・デ・プレ修道院に移った。これらの修道院は、いずれも1618年新設のサン・モール修道会に属していた。この修道会では歴史神学と古文書研究が盛んで、マビヨンはその代表的人物であった。サン・モール修道会の整備された通信網による史料収集を指揮しつつ、彼は『聖ベネディクト修道会聖者伝』『聖ベルナルドゥス全集』『聖アウグスティヌス全集』など大部の版本を次々に刊行したが、とくに『古文書論』De re diplomatica(1681)は、西欧における古文書学に不動の基礎を据えたものとして彼の名を不朽にした。当時、彼はフランスでもっとも学殖深く、しかももっとも謙虚な人と評された。

[今野國雄 2017年12月12日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マビヨン」の意味・わかりやすい解説

マビヨン
Mabillon, Jean

[生]1632.11.23. ランス近郊
[没]1707.12.27. パリ
フランスの文献学者。サン・モール (ベネディクト) 会士。 1653年サン・ルミの修道院に入り,60年司祭。 64年パリのサン・ジェルマン・デ・プレ修道院に招かれ,歴史研究に参加,やがてサン・モール学派の代表的学者となった。各地に旅行して写本を発掘し,中世の多くの神学,教会史的文献を公刊した。イエズス会士 D.パーペンブルクを反駁した『文書論』 De re diplomatica (1681) で文書や写本の真偽,年代を決する原理を説いて,中世文献学を確立。またド・ランセの非難にこたえて修道士の文献学的研究の正当性を擁護した『修道者の研究について』 Traité des études monastiques (91) がある。校訂出版の代表作は『ベネディクト会聖人伝』 Acta Sanctorum Ordinis S. Benedicti (9巻,68~1701) 。

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世界大百科事典(旧版)内のマビヨンの言及

【教会史】より

…古代,中世の年代史家chroniclerが多少自分の見解を入れたのに比べ,16世紀以来の年譜作者annalistは,史実にできるだけ忠実であろうとする客観性を重視した。マビヨンJean Mabillon(1632‐1707)らのマウリーニ学派により古文字学,古文書学,年代学も創始され,膨大な教会保管文書の組織的研究が進められたが,これらの研究を土台にして19世紀前半のドイツには,チュービンゲン大学のメーラーJohann Adam Möhler(1796‐1838)らを中心として,一種の歴史神学や教会論が盛んになった。しかし,教皇庁が新スコラ学を支持してこれを危険視したため,この流れはプロテスタント側に受けつがれ,各研究者の多少主観的観点からの教会史解釈が20世紀前半まで流行した。…

【教会史】より

…古代,中世の年代史家chroniclerが多少自分の見解を入れたのに比べ,16世紀以来の年譜作者annalistは,史実にできるだけ忠実であろうとする客観性を重視した。マビヨンJean Mabillon(1632‐1707)らのマウリーニ学派により古文字学,古文書学,年代学も創始され,膨大な教会保管文書の組織的研究が進められたが,これらの研究を土台にして19世紀前半のドイツには,チュービンゲン大学のメーラーJohann Adam Möhler(1796‐1838)らを中心として,一種の歴史神学や教会論が盛んになった。しかし,教皇庁が新スコラ学を支持してこれを危険視したため,この流れはプロテスタント側に受けつがれ,各研究者の多少主観的観点からの教会史解釈が20世紀前半まで流行した。…

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