わが国には奈良時代以前からの各種多量の古文書が伝来しており、これを形態的に分類し、機能した道筋を分析し、それらを総合して体系化することを目的とする学問。具体的な目的に従って三つの潮流に分けることができる。
第一は、自ら文書を作成し使用するために、先例や雛型(ひながた)を研究するという、もっとも実用的な目的をもつ。奈良時代、公式令(くしきりょう)によって初めて文書の種類、名称、書式などが公的に規定され、さらに中世以降多くの有職故実(ゆうそくこじつ)書、書札礼(しょさつれい)がつくられたが、これらは日々必要とされる文書知識を得るためのものであった。今日においても、公的機関から出され、あるいはそこに提出される文書には一定の書式があり、また私的に取り交わされる手紙などでも、発信人と受取人との間の年齢や社会的地位の隔たり、さらに慶弔などの用途に従って、慣習的な決まりがある。それから極端に逸脱すれば非難を被る可能性もあるが、前近代ではさらに厳しい社会的制裁を覚悟しなければならなかった。鎌倉時代後期に、公家徳政(くげとくせい)の一環として公定された弘安礼節(こうあんれいせつ)中の書札礼は、貴族・僧侶(そうりょ)の現任の官位に従って、取り交わされる書状の様式を細密に規定しており、以後の書札礼に大きな影響を与えた。また今日でも中村直勝(なおかつ)のように、古文書学とは真偽鑑定の学であるとする主張もあり(『日本古文書学』上中下)、裁判では刑事・民事を問わず、証拠書類の鑑定が裁判の黒白を決める決め手となることが多い。前近代では土地や所職(しょしき)の領有が文書によってのみ証明される場合が多く、とくに鎌倉幕府の証拠法が証文を第一としたため、文書鑑定の技術が急速に発達した。文書が日々生産され、当面の機能を終えると同時に古文書となる限り、こうした実用の学としての古文書研究がなくなることはありえないだろう。
第二は、歴史研究の補助手段としての古文書研究である。現今各大学の古文書学講座が史学科に付属しているのに象徴されるように、歴史研究の技術的な手段としての古文書学という認識は、もっとも常識的な観念である。確かに古文書が古記録と並んで歴史資料の二大部分の一つを占める以上、古文書を有効に利用せずして、実証的な歴史研究を行うことはきわめてむずかしい。そのためにはまず、全国各地に散在している古文書を採訪し、可能な限り印刷・上梓(じょうし)されることが望ましいのはいうまでもない。戦前の史料収集は東京大学史料編纂所(へんさんじょ)や一部の官立大学によって独占的に行われていたが、戦後多くの自治体において県市町村史の編纂が一斉に行われ、また竹内理三(りぞう)が独力で成し遂げた『奈良遺文』3冊、『平安遺文』15冊、さらに継続中の『鎌倉遺文』正編42冊、補遺編4冊などの刊行によって、単に利用しうる古文書が量的に増大したのみではなく、編纂上必要とされる古文書学の質的向上に大きな寄与を果たした。集積された文書を形態、様式によって分類し、さらに用紙、書風、文章、印章などを類型化し、時代的な変化を追跡することによって、個々の文書が古文書の体系のなかでどこに位置づけられるかを知ることができるし、歴史史料としての文書の価値を高めることが可能となる。
文書を公文書、私文書に大別し、署判・日次(ひなみ)の位置によって細分化していく様式分類の方法は、戦後まもなく完結した相田(あいだ)二郎『日本の古文書』上下2冊によって極点にまで達した観があるが、そのうえにたって歴史学上の大きな研究成果が達成された。たとえば、現在中世政治史研究に大きな影響を与えている佐藤進一の幕府権力の二元性論は、初期の室町幕府が武士に与えた公的な命令文書を、下文(くだしぶみ)と下知(げち)状の2種に分類し、前者は将軍足利尊氏(あしかがたかうじ)が恩賞や守護職(しゅごしき)の任命に用いたものであり、後者は弟直義(ただよし)が相続の承認や裁判の判決文書に用いたものであるという事実を確定した。そしてそこから、尊氏のもつ主従制的支配権、直義のもつ統治権的支配権を論証したことから出発したものであった。
もちろん歴史学と古文書学の関係が、後者の一方的奉仕によって成り立っているはずはない。新しい歴史学上の成果や仮説を導入することによって、古文書研究にも新たな進歩が生まれるのは当然である。たとえば、従来代表的な偽文書(ぎもんじょ)として取り扱われてきた、供御人(くごにん)とよばれる商工業者あての特権賦与文書、蔵人所牒(くろうどどころちょう)や下文類のうち、かなりの部分が網野善彦(あみのよしひこ)によって正当な文書として復権されたが、それは単に、収集、分類、比較といった古文書学的方法によって得られた成果ではなく、天皇がもつ海陸の交通権や山野の支配権を通じて、天皇・供御人両者の結び付きを考えたところに出発点を置いていることは確かである。現在では文書をできる限り動的にとらえ、作成される段階から、実際に機能し、保有され、伝来する各プロセスをそれぞれ追跡するという方法がようやく定着しつつあるが、そうなればなるほど、歴史学・古文書学相互の依存関係は深まらざるをえないだろう。
第三の方向は、古文書学を実用や歴史研究の手段から切り放し、独自の学問領域として確立していこうとする立場である。その主張者である佐藤進一によれば、その独自領域とは、機能を軸にして各時代の文書体系と、その史的展開を明らかにして、人間の意志伝達手段の一つである文書の歴史それ自身を究明しようとするものである。ごく最近に至って、音声による伝達形式のもつ意味を考えようとする傾向が現れ始めた。それらを含めて、実際の研究視点や方法において第二の立場とそれほど異なるものではないにしても、独自の学問領域の模索という自覚が、古文書学をつねに脱皮させ進歩させていくための原動力となることは十分期待できよう。
[笠松宏至]
古文書学とは、立法、行政、司法、外交にかかわる公文書、私文書である古文書に関する批判的学問である。ヨーロッパにおける古文書学は、歴史補助学の一分野として確立し、独自の研究対象と方法とを有する。歴史研究のための根本史料は記述史料と文書史料とに大別される。前者は、叙述的に記された編年代記、伝記、記録等であり、通例図書館に収蔵されるのに対し、後者は、法律または実用的目的で書かれた証書、契約書、報告書、議事録、帳簿、訴訟記録、法令集等であり、文書館(英語でarchives、フランス語でarchives、ドイツ語でArchiv)に収蔵される。記述史料、すなわち記録に関して書誌学(英語でbibliography、フランス語でbibliographie、ドイツ語でBibliographie)が成立するのに対して、文書史料、すなわち古文書に関して、科学的批判の学である古文書学が成立する。古記録、古文書ともに、活版印刷術の普及以前はすべて筆写されたので、その書体について古書体学(英語でpaleography、フランス語でpaléographie、ドイツ語でPaläographie)が成立する。しかし古記録は、独自の書体、楷書(かいしょ)体(英語でbook-hand、フランス語でécriture livrique、ドイツ語でBuchschrift)で筆字されたが、古文書は、草書体(英語でcourt-hand、フランス語でécriture diplomatique、ドイツ語でGeschäftsschrift)でしたためられたので、古文書学と古書体学、とりわけ草書体の研究とは密接な関係にある。
[鵜川 馨]
アルプス以北の西ヨーロッパの中世社会は、本来ゲルマン法の支配を特徴とする社会であり、古典古代以来、ローマ法を継受した地中海地域に成立した中世社会と顕著な対照を示す。すなわちゲルマン法は口頭主義を、ローマ法は文書主義を原理とする。12世紀に、イタリア、南フランスで契約の締結に際し、いっさいの法律上の権利諸関係の変更は文書に記録され、それも皇帝や教皇の允可(いんか)を得た公証人が一定の書式にのっとって公正証書を作成し、公証人の署名と花押(かおう)とにより認証された。その原本の控えは公証人の手元に保管された。
これに対し、イングランド、ドイツ、北フランスなどゲルマン法の支配する地域では、契約、不動産譲渡などの権利関係の変更は文書によらず、口頭で行われ、証人の面前でなされる象徴的儀礼によって法的に有効とされた。一例をあげれば、土地の譲渡者は、譲受者とともに現地に赴き、当該物件の四囲をともに巡り歩き、譲渡者は証人の面前で小刀で土塊を切り取り、直接譲受者に手渡すという儀礼(これを占有の引渡しという)によって、譲渡行為が成立し、裁判集会に報告され、法的に有効と認められた。このような譲渡行為が文書にしたためられることはまれで、例外的に、教会の福音書(ふくいんしょ)の余白に記入されることがあった。国王や貴族がその領地を教会や修道院に寄進する場合、寄進者が寄進地の土塊を祭壇に捧(ささ)げるという儀礼によって、その領有権が、自然人たる領主から、教会・修道院の守護聖人、すなわち擬人化された宗教法人に移転したことになる。古い寄進状に、土塊を切り取った小刀が添えて保存されている事実は、文書それ自体よりも、儀礼に用いられた小刀のほうが法的証明力の強いことを如実に物語っている。
しかし時の経過とともに、人々の記憶から寄進の事実が忘れ去られ、係争が生じるので、またローマ法の原理の採用に熱心であった教会の働きかけもあって、しだいに文書が作成されるようになったのである。基本的にこれらの証書も譲渡者の印璽(いんじ)の封蝋(ふうろう)への押捺(おうなつ)と証人の認証によって法的効力が発生することとなった。しかし公証人の作成した公正証書と異なって、証書の形態も書式も精粗さまざまで、地域により、時代により、書記により千差万別であったため、偽文書の作成が横行し、当時も、真正な文書と偽文書の識別が法廷で大問題であり、近代に入ると、古文書の真偽をめぐって、古文書の批判的検討の学問としての古文書学の成立をみるのである。
古文書学では、文書の形式がもっとも重要な検討課題で、外的特徴と内的特徴について科学的批判が加えられる。外的特徴とは、文書の材質、パピルスと羊皮紙、インク、筆記具、印璽、書体にかかわり、内的特徴とは、書式、文体にかかわるものである。今日では、ベルギーの古文書学者によって、コンピュータを駆使する文体の検討から、文書の真偽を問う方法が新たに試みられている。
[鵜川 馨]
ヨーロッパ中世の古文書は公文書と私文書とに大別される。前者は、立法、行政、司法、外交関係の文書で、教皇、司教、皇帝、国王等の公的権力の発給する文書であり、後者は、個人、あるいは都市当局、修道院といった法人等の私人が発給する文書をいう。それぞれの公的機関には、尚書局(英語でchancery、フランス語でchancellerie、ドイツ語でKanzlei)があって、書記が文書を起草し、発給する。したがって尚書局の機構やその業務内容の研究が重要である。またこれらの尚書局の発給した文書は、原本(オリジナル)のほかに、写し(コピー)あるいは謄本が伝えられている。尚書局には受領した文書も発給した文書の控えも保管され、それらの全文または主文を登記した登録簿も備えられるのが習わしである。
公文書の発給の点で範例となったのは教皇文書である。教皇文書は初めパピルスにしたためられ、現存する最古のパピルス文書は788年に発給されたものである。1005年以降、羊皮紙にしたためられるようになった。初期の教皇文書の原本はほとんど現存せず、なんらかの形で写しとして伝えられるにすぎない。初期の文書は、書簡epistolaの形式をとり、鉛の印璽が付されていたので、教皇文書は勅書(ブルラ)bullaとよばれた。11世紀以降、しだいに書式が固定し、文書の内容によって、大勅書bullae majoresと小勅書bullae minoresに分けられ、前者は永続的効果を要する法行為の文書で、文書の下部中央に教皇と枢機卿(すうききょう)の自筆の下署があり、その左下に司祭、右下に助祭が証人として下署している。後者は、教皇の行政命令一般である。12世紀、インノケンティウス3世の黄金時代に教皇文書の書式も完成し、細部にわたって厳格に守られ、現存する登録簿の作成も開始された。しだいに大勅書の発給が少なくなり、小勅書も、赤と黄の絹紐(きぬひも)に鉛の印璽を付した「書簡」tituliと、麻紐に印璽を付した「教書」mandamentaに分化した。15世紀以降は、「訓令」breviaが正式の文書として取り扱われ、教書にかわった。訓令はイタリック体でしたためられ、緘封(かんぷう)されたうえで発給されるようになった。
現存するメロビング朝(5世紀~8世紀なかば)の国王尚書局の発給した証書90通のうち38通が原本である。うち13通がパピルスで、教皇文書に先だって羊皮紙にかえられた。国王と伝旨官referendariusの下署と文書の左下に、印璽を封蝋の上に押捺してある。命令文書praeptumと判決文書judiciaとがある。シャルルマーニュ以降は、尚書chancellariusの下署と印璽の押捺によって認証され、発行の時Datumと場所Actumが記載されるようになった。
アングロ・サクソン期の公文書は、フランクの文書の影響を強く受けていた。本文はラテン語でしたためられたが、寄進地の四囲は土着語のアングロ・サクソン語で記されていて、ゲルマン法の強い影響が認められる点が注目される。十字の印のあとに書記の手になる国王と証人の下署があり、印璽の押捺はない。ノルマン征服後、大陸の影響を受けながらも、イギリス独自の簡略な国王文書の形式が成立した。勅許状charters、開封勅許状letters patent、緘封勅許状close lettersがそれである。私文書については、公証人制度の欠を補うものとして、割印証書chirographという証書形式が成立し、現代の公正証書indentureの先駆となった。
[鵜川 馨]
『鷲田哲夫「フランスにおける古文書学の発達」(『古文書研究』創刊号所収・1968・吉川弘文館)』▽『鵜川馨「英国における古文書学と古書体学」(『古文書研究』第12号所収・1978・吉川弘文館)』
古文書を科学的に研究する学問。
研究はまず(1)文書の書式・作成方法に関する研究があり,古く律令時代にさかのぼる。すなわち大宝令をほぼ踏襲したと考えられる養老令の公式令(くしきりよう)では,公文書として詔書・勅旨以下21種類の文書を掲げ,これらの公文書の書式と文書作成に関する諸規定,およびその施行について述べており,日本の古文書研究の源流をここに求めることができる。平安時代になって朝廷の儀式典礼が盛大に行われるようになると,それに関する正確な知識が要求され,有職故実の学が発達し,有職書が編纂される。源高明《西宮記》,藤原公任《北山抄》,大江匡房《江家次第》はその代表的なもので,このなかには文書の作成発布に関する儀礼や慣習なども述べられている。これらは,この時代新たに成立した令外様文書に関する解説書といえる。院政の成立,ことに鎌倉中期以降本格的な院政が行われるようになると,院宣・綸旨といった書札様文書が国政の最高の文書となり,それにともなって書札礼が成立する。書札礼とは書札を調える際に守るべき形式,用語,用字などに関する礼式の総体のことで,これに関する書物も書札礼と呼んでいる。書札礼の早いものに平安末期の《貴嶺問答》があり,その後多数の書物が作られている。とくに1285年(弘安8)制定の《弘安礼節》は後宇多天皇の勅撰であり,書札様文書が国政上最高の地位をしめるにいたったという事態に相応ずるものである。室町幕府は足利義満のときに公武両権を統一した全国政権として君臨することになるが,その義満の命で《書札法式》が制定された。以後多くの戦国大名,さらには江戸幕府においても,武家の書札礼が多数作成される。
つぎに日本の古文書の研究は,(2)裁判のための文書の真偽鑑定の必要からおこっている。大宝律令には,文書の偽作者に対する処罰の規定がみられる。中世になると家督相続や所領に関する紛争がおこり,そのため偽書が作成されることがあった。《御成敗式目》に〈謀書罪科事〉という一条を設けているのはそのためで,このような文書の真偽鑑定が,古文書学の発展と結びついた。つぎに(3)古筆の鑑賞も大きな要因のひとつである。名家の筆跡を尊重しそれを鑑賞する風は,中国の影響を受けて日本でも古くから行われていたが,室町時代には茶の湯の流行とともに盛んになった。近世になると古筆家といわれる世襲の筆跡鑑定の専門家が生まれ,手鑑や名物切の盛行とともに,古文書研究に大きな貢献をした。もうひとつ忘れてはならぬのは(4)古文書が歴史編纂の史料として用いられていたことである。文書は古くから歴史編纂の材料として広く用いられているが,ことに近世になり,水戸藩の《大日本史》をはじめ多数の歴史書が編纂されるようになると,古文書の全国的な採訪収集が行われ,またその学問的な研究がみられるようになった。明治になって近代的な歴史学が輸入されると,古文書は歴史叙述のためのもっとも確実な史料として位置づけられ,古文書学はその基礎をなす学問として発達をした。
上述のことからも明らかなように,従来古文書学の目的は文書の真偽鑑定にあり,古文書学は歴史学の補助学といわれてきたのも十分理由がある。しかし古文書はあらかじめ歴史叙述の史料となることを予定して作成されたものではなく(史料として使用するのは歴史家の自由であるが),ある意志の伝達手段,さらには相手方にある働きかけをするものとして作成されたものである。すなわち文書は,史料としてではなく文書として,いいかえれば1個の〈もの〉として作成されているのである。したがって古文書学は歴史学の補助学あるいは史料学といった観点からではなく,古文書を〈もの〉として総合的に研究する学問としてとらえなおさなければならない。この場合,古文書学の研究領域としては,(1)様式論,(2)形態論,(3)機能論,(4)伝来論,の4研究分野の統一として把握されなければならない。
(1)様式論 様式分類としては,公式様文書,令外様文書,書札様文書,上申文書,証文類と分けるのが妥当と考えられるが,これら各様式のなかの個々の形式の文書の書式,作成法,内容,特色などを研究する分野である。日本の古文書学といえば,従来はこの様式論にのみ終始するかのようで,それ以外の研究はひじょうに立ち遅れている。(2)形態論 文書を〈もの〉として考え,その形について検討を加える研究分野である。これには材料,筆跡,墨色,書体・書風,封式,花押・印章などの研究が挙げられる。材料については,紙か紙以外の布,木,金石か,紙の場合はその料紙の紙質,大きさ,厚さ,形状(竪紙,折紙,切紙,続紙)といったことが問題となり,これらの統一体として一通の文書が存在しているのである。(3)機能論 たんに個々の文書の機能を明らかにするだけではなく,それを通じて何通かの文書を機能的なつながりにおいて,すなわち〈かたまり〉としてみようとするものである。およそ文書は私信を除いては,1通だけでその機能をはたす場合は珍しく,何通かの文書が相関連してひとつの機能をはたすのである。様式論は,このような文書の機能的つながりを切断することにより成立するが,機能論では逆にこのような文書相互の機能・関連を明らかにしようとする。(4)伝来論 文書はその長い歴史的経過の上に立って,現在にいたっている。現在の伝存状態がもっとも自然な形である場合も多いが,一見はなはだ不自然に感じられる場合も少なくない。その不自然な伝存状態には案外古文書学上重要な問題が含まれている場合が多く,そうでない場合も文書の歴史的研究は重要な研究分野である。
執筆者:上島 有
伝統的な中国学には古文書学という部門は成立せず,せいぜい準古文書というべき金文・石刻を研究する金石学が,宋代に生まれ清代にさかんになった程度である。もとより,中国には古文書がほとんど残らなかったためであるが,その理由には,王朝の交代ごとに前朝の文書が廃棄されたこと,学者の文書に対する関心が書籍に対するほど高くなかったこと,などが挙げられる。ところが20世紀に入って,膨大な古文書群があいついで発見された。すなわち(1)殷代で占いに使われた甲骨文,(2)漢・晋の木簡,とくに西北辺境の居延から出土した居延漢簡,(3)4~11世紀初の敦煌文書および西域文書,なかでも6~8世紀のトゥルファン文書,(4)清朝宮廷に保管されていた公文書類,いわゆる明清檔案(とうあん)である。いずれも発見されるごとに学界の注目を集め,多数の学者が研究を行い,甲骨学,簡牘(かんどく)学,敦煌学という名称も生まれた。以上の4文書群すべてに研究の先鞭をつけ,その後の発展に貢献したのは羅振玉と王国維である。解放後の中国では,さかんな古墓の発掘にともない各地から戦国・秦漢の帛書や竹木簡が大量に出土し,新たなトゥルファン文書も発掘された。また明清檔案の整理と公刊は,北京の明清檔案館と台湾の故宮博物院で進行している。こうした新資料の発掘に加え,研究面では,文書の形状,筆跡についても研究されるようになり,中国古文書学はようやく緒についたといえる。
執筆者:竺沙 雅章
ヨーロッパの古文書学diplomaticは歴史学の補助学の一分野として確立し,独自の研究対象と研究方法を有する。そもそも〈ディプロマdiploma〉という語はギリシア語で〈二つ折りの証書〉,ラテン語で初めは〈旅券〉,後に〈皇帝の勅許状〉を意味した。ルネサンス期の人文学者は皇帝,教皇,国王,司教の発給した証書類を〈ディプロマ〉と呼び,書式が整序されなかった中世初期の古文書全般の真偽をめぐる研究を〈古文書にかかわることres diplomatica〉と呼んだところから,古文書学diplomaticという用語と学問が成立した。歴史研究のための根本史料は,記述史料と文書史料に大別される。前者は叙述的に記された編年代記,伝記等で,古記録と呼ばれ,写本の形で図書館に主として所蔵されている。後者は法律的または実用的な目的で書かれた証書,契約書,報告書,帳簿,訴訟記録,法令集で古文書と呼ばれ,主として文書館に所蔵されている。古記録,古文書の書体に関して批判・検討する学問が〈古書体学palaeography,paleography〉と呼ばれるのに対し,書体だけでなく,古文書の用紙の材質(パピルス,羊皮紙,紙),インク,書式,文体,印章,副署,年代表示方式等のさまざまな基準から,批判・検討を加え,古文書の真偽,真正性を検討する学問が古文書学である。最近ではコンピューターを利用して,ラテン文の文体の比較検討を通じて古文書の真偽を検討する手法も開発されている。また古文書は公文書と私文書に分けられる。前者は立法,行財政,司法,外交にかかわる文書で,古くはブレウィスbrevis,リテラエlitteraeと呼ばれ,後者は私人または法人の不動産の所有にかかわる権利証書でカルタcartaと呼ばれる。最も早く書式の整ったのは,教皇の尚書局の発給した教皇文書であり,次にメロビング朝,カロリング朝諸王の尚書局の発給する国王文書が整序され,イギリスの国王文書も独自の書式と形式を展開させていった。
執筆者:鵜川 馨
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 図書館情報学用語辞典 第4版図書館情報学用語辞典 第5版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…しかし偽文書は時代をこえて作成され,現在まで多くの偽文書が伝来している。それゆえ,様式,年月日,人名,花押,用語,書風,紙質等の諸要素の十分な吟味による文書の真贋の判定は,古文書学の発達ともかかわる歴史学の基礎的手続といってよい。しかしそれによって偽作と判定された文書もそれとしての機能を持ち,史料としての価値を十分に有している。…
※「古文書学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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