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ミース・ファン・デル・ローエ Ludwig Mies van der Rohe

世界大百科事典 第2版の解説

ミース・ファン・デル・ローエ【Ludwig Mies van der Rohe】

1886‐1969
ドイツに生まれ,後半アメリカで活躍した建築家。アーヘンの石工親方の子。ベルリンで,家具デザイナーのパウルB.Paulのもとで,ついで1908‐11年AEG社デザイン顧問(1907以降)として活躍しはじめたP.ベーレンスの事務所で働く。12年,オランダの富豪クレーラー・ミュラーの邸宅設計を機に自立したものの,第1次大戦のため軍務に服する。戦後ベルリンの前衛芸術家集団〈11月グループ〉に参加し,建築部長を務める。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のミース・ファン・デル・ローエの言及

【近代建築】より

機能主義建築
[国際様式]
 1920年代に入ると,20世紀初頭に見られた建築の動きはヨーロッパ全体に影響を与える運動となってゆく。1919年に設立されたバウハウスは,ナチスの迫害を受けながらも,総合的な造形教育システムを打ち立て,校長を務めたグロピウスやミース・ファン・デル・ローエらの建築理念に基づき新しいデザインを推進した。特に後者の〈ガラスの摩天楼Glass Skyscraper〉案(1921)は,彼が後に発展させることになるカーテンウォールの高層ビルの原型を示すものであった。…

【バウハウス】より

…この時代にヒルバーザイマーL.Hilberseimer,ペーターハンスW.Peterhansが教授陣に加わって都市計画と写真の専門クラスができる。しかしマイヤーの政治的思想は,バウハウスの敵対者の攻撃の火に油を注ぐ結果になり,30年彼は退任を余儀なくされ,L.ミース・ファン・デル・ローエが後任の校長になる。この間,26年には雑誌《バウハウス》が創刊され,25‐30年には《バウハウス叢書Bauhausbücher》(14冊)が刊行された。…

※「ミース・ファン・デル・ローエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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