モンゴル人民革命党(読み)モンゴルじんみんかくめいとう(英語表記)Mongolian Peoples' Party

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モンゴル人民革命党」の意味・わかりやすい解説

モンゴル人民革命党
モンゴルじんみんかくめいとう
Mongolian Peoples' Party

旧モンゴル人民共和国で唯一の政党。共産主義体制の支配政党として君臨していた。 1920年6月,D.スヘバートルや K.チョイバルサンらがモンゴル人民党として結成。 21年3月,ソ連領のキャフタで第1回党大会を開催し,臨時人民政府の樹立を宣言。 24年 11月には人民共和国を樹立する。なお同年8月の第3回大会で現党名に改称。その後右翼偏向の時代,左翼偏向の時代を経て,37年以降チョイバルサンの独裁体制が成立。第2次世界大戦後の 45年 10月に行われた住民投票で独立を決定。 52年チョイバルサンの死に伴い首相に就任した J.ツェデンバルは 58年党第一書記に就任,以降親ソ路線をとり,親中国系幹部を追放。 84年にツェデンバルは解任され,74年以降首相職にあったバトムンフが後継の書記長に就任。 88年 12月の党中央委第5回総会では長年続いた指導者への個人崇拝を一掃することを決定したほか,民主化への道を開いた。さらに 90年3月には一党独裁を放棄,改革派のゴムボジャービン・オチルバトを党書記長に選出,複数政党制と自由選挙制への移行を目指し憲法を修正した。同年7月に行われた初の自由選挙では圧勝したものの,92年6月の大統領選挙では野党連合のポンサルマーギン・オチルバトが勝利,96年6月の総選挙でも野党連合が過半数を制した。 97年2月の党大会では総選挙の大敗北を受け党綱領からマルクスレーニン主義を放棄し,民主社会主義への転換をはかり,同年5月の大統領選挙ではナツァグィン・バガバンディ前国会議長を勝利に導いた。さらに 2000年7月の総選挙では全議席の 90%以上を獲得し,4年ぶりに政権を奪回した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「モンゴル人民革命党」の解説

モンゴル人民革命党
モンゴルじんみんかくめいとう

モンゴル人民共和国成立の原動力となった社会主義組織
1920年にスフバートルやチョイバルサンらが結成。ソ連共産党の影響下で社会主義をめざすが,1921年の人民革命直後には活仏を元首とする君主国を成立させた。1924年の活仏死後,人民共和国を樹立した。

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