チョイバルサン(読み)ちょいばるさん(英語表記)Khorlogiin Choibalsan

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チョイバルサン」の意味・わかりやすい解説

チョイバルサン(Khorlogiin Choibalsan)
ちょいばるさん
Khorlogiin Choibalsan
(1895―1952)

モンゴル政治家。北東部ツェツェンハン・アイマクに生まれる。遊牧民の家に育ち、13歳で寺に入れられてラマとなるが、17歳のとき脱走ウランバートルに行き、ロシア語を学ぶ。1914年シベリアのイルクーツクの中学に入ったが、1917年のロシア十月革命で大きな影響を受け、1918年帰国、秘密の革命組織をつくり、1921年スフバートルと合流して人民革命党結成。1924年革命軍総司令官となり、同年モンゴル人民共和国樹立。1936年内相となり、政敵粛清。1938~1952年首相を務め、陸相、内相も兼任。1940年いわゆるチョイバルサン憲法を制定、社会主義建設に向かう。1939年のノモンハン事件と第二次世界大戦末期には日本軍と戦う。1952年モスクワで病死するまで党書記長、軍司令官地位にあり「モンゴルのスターリン」とよばれた。死後の1962年個人崇拝を批判される。

[高市恵之助]


チョイバルサン(モンゴル)
ちょいばるさん
Choibalsan

モンゴル東部、ドルノド県の県都。ケルレン川北岸に位置し、中国国境に近い。人口4万1714(2000)。1921年の革命までサン・ベイスSan Beise、41年までバヤン・トゥメンBayan Tumenと称したが、現在は同地方出身の政治家チョイバルサンの名がつけられている。1940年以来、エレンツァブを経由してシベリア鉄道に通じる鉄道起点である。同国東部の軍事、交通、経済、文化の中心地であり、建築材料、自動車修理、製粉、食肉のコンビナート、洗毛工場などがある。

[吉田順一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チョイバルサン」の意味・わかりやすい解説

チョイバルサン
Choybalsan

モンゴル東部,ドルノド州の州都。東部モンゴル高原にあり,ヘルレン川にのぞむ。東部モンゴルの政治,経済,文化の中心となっている。ウラーンバートルと航空路,自動車道で結ばれるほか,シベリア鉄道から支線が延びている。 1822年にチベット仏教寺院を中心に建設され,アチトベイシンフレー Ačit bejsijn xüreeと呼ばれたが,1931年バヤントゥメン Bajan tümenと改称,さらに 41年には革命 20周年を期に革命の英雄チョイバルサンにちなんで現在名となった。人口3万 8600 (1991) 。

チョイバルサン
Chojbalsan, Khorlogijn

[生]1895.2.8.
[没]1952.1.26. モスクワ
モンゴルの政治家。 1920年スヘバートルとともにモンゴル人民革命党の結成に参加。外モンゴルに侵入したシベリア白衛軍の部隊に対する武装闘争を開始。 24年革命軍総司令官,35年第一副首相を経て,38年首相兼陸相,内相,軍司令官となり,「モンゴルのスターリン」として独裁的権力をふるった。

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