スヘバートル(その他表記)Damdiny Sükebaghatur

改訂新版 世界大百科事典 「スヘバートル」の意味・わかりやすい解説

スヘバートル
Damdiny Sükebaghatur
生没年:1893-1923

モンゴル革命家。スフバートルSükhbaatarともいう。大フレー(現在のウランバートル)で貧民の子として生まれる。1910年代のモンゴルは独立から自治へ,そして自治の取消しと揺れ動いていたが,そのなかでモンゴルの民族意識社会変革にめざめ,1920年,チョイバルサンとともにモンゴル人民党結成に参加,政治・軍事指導者としてソビエト援助のもと,中国軍,ウンゲルン軍を追放しモンゴルの解放と革命を成功へと導いた。今日でも建国の父として広く尊敬されている。彼の名を冠した,ロシア連邦との国境付近にある都市スフバートルは,両国の貿易上の重要地である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スヘバートル」の意味・わかりやすい解説

スヘバートル
Sukebaghatur, Damdiny

[生]1893.2.2. ウラーンバートル近郊
[没]1923.2.22.
モンゴル人民共和国建設者。スフバートルとも呼ばれる。ウルガ (現ウラーンバートル) 近郊の貧しい遊牧民の家に生れ,14歳のときウルガからキャフタ間で馬子として働いた。 1912年外モンゴル自治政府の軍隊に入り,下士官学校を卒業,佐領に任じられ,バブージャブ軍と戦って勇名をはせ,バートル (勇士) の号を授けられた。 18年中国軍が外モンゴルを占領すると,19年ウルガに革命地下組織をつくり,K.チョイバルサンのグループと合流,これがモンゴル人民革命党に発展した。 20年ソビエト政府と連絡,21年赤軍とともにマイマチン (アルタン・ブラク) から行動を起し,7月 10日ウルガに人民政府を樹立,みずから国防相となった。まもなく 30歳の若さで結核のために死んだ。毒殺されたともいわれる。

スヘバートル
Sühbaatar

モンゴル北部,セレンゲ州の州都。ウラーンバートルの北方 260km,オルホン川とセレンゲ川の合流点にある。ウラーンバートルとシベリア鉄道を結ぶ鉄道の中継地で,セレンゲ川の河港もあり,フブスグル湖との間を船舶が航行する。建設,建材,食品,製材などの軽工業が発達している。人口約1万 5000。

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百科事典マイペディア 「スヘバートル」の意味・わかりやすい解説

スヘバートル

モンゴルの建国の英雄。スフバートルとも。貧民の子に生まれ,若いころから労働運動,さらに革命運動に従う。ロシア革命に学び,1920年チョイバルサンとともにモンゴル人民党結成に参加,1921年人民政府を樹立して主席に就任。ソ連と友好協定を結び,共和国の基礎を築いた。セレンゲ・アイマクの主都は彼の名にちなみ,スヘバートルと呼ぶ。
→関連項目モンゴル

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