モーリア(読み)もーりあ(その他表記)Paul Mauriat

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モーリア」の意味・わかりやすい解説

モーリア
もーりあ
Paul Mauriat
(1925―2006)

フランスの作曲・編曲家、指揮者、ピアノ奏者。マルセイユ生まれ。4歳からピアノを学び、10歳でパリ音楽院に入学した。クラシックのピアノ奏者を目ざしたが、友人にジャズ・ピアノの名手テディ・ウィルソンTeddy Wilson(1912―86)のレコードを聴かされて転向。ジャズとポピュラー音楽を研究した。第二次世界大戦中の1942年に自身のダンス楽団を率いてマルセイユを中心に演奏。ポール・フェルセンPaul Fersenという変名で編曲もした。59年からパリでレコード会社の編曲者を務め、60年にはシャンソン歌手シャルル・アズナブールの伴奏指揮を行って注目された。65年にポール・モーリア・グランド・オーケストラを結成してポピュラー音楽の録音を開始。68年に『恋はみずいろ』Love is Blueが世界的に大ヒットした。その後もヒットが続出。日本では『エーゲ海真珠Penelope(1971)、『オリーブの首飾り』El Bimbo(1975)が大ヒットした。モーリアはリズムとビートを強調して若々しい生命力を表出し、クラブサンチェンバロ)やエレキバイオリンも使った多彩なサウンドによる現代感覚十分の軽快な演奏で人々を楽しませた。ムード音楽、あるいはイージー・リスニングと称される分野で新しいスタイルを創造したといえる。98年にオーケストラの指揮をジル・ガンブスGilles Gambusに任せて演奏活動はやめたが、作曲と編曲は続けていた。彼が作曲した人気曲には『蒼(あお)いノクターン』Nocturne(1966)、『カトリーヌ』Catherine(1969)、『薔薇色(ばらいろ)のメヌエット』Minuetto(1975)、フランク・プウルセルFranck Pourcel(1913―2000)と共作した『アイ・ウィル・フォロー・ヒム』I Will Follow Him(1962)、ミレイユ・マチューが歌ってヒットしたシャンソン『愛の信条』Mon credoなどがある。

[青木 啓]

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改訂新版 世界大百科事典 「モーリア」の意味・わかりやすい解説

モーリア
James Morier
生没年:1780-1849

イギリス外交官。1808-09年,初代イラン大使H.ジョーンズの秘書としてイランを訪問,カージャール朝との友好条約調印に尽力した。11-15年,テヘランのイラン大使館付の書記官。帰国後,イラン滞在中の知見に基づく風刺文学《イスファハーンのハージー・ババーの冒険》(1824。邦訳《ハジババの冒険》)を著した。イラン人の人間性を揶揄(やゆ)したこの作品は,後にペルシア語に翻訳され,イラン近代文学の形成に寄与した。
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百科事典マイペディア 「モーリア」の意味・わかりやすい解説

モーリア

英国の外交官,小説家。レバント会社の総書記で英国に帰化した父親の子としてスミルナ(現イズミル)で生まれる。1807年イラン駐在大使の秘書として英国とガージャル朝の外交関係の樹立に尽力。のちテヘランのイラン大使館の書記官。滞在中の見聞をもとにしてイラン人の人間性を揶揄(やゆ)した《ハジババの冒険》(1824年)を著した。

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